芸術たちのジャケット [Collection]
先月末、数日かけて
音楽CDと映画DVDのディスクの
プラスチックケースを
ビニール製のソフトケースに入れ替えた。
KOKUYOの「MEDIA PASS」を通販で購入、
CD200枚、映画100枚を新しい衣で装った。
というのも、狭小地にある拙宅の2階自室の、
ディスクラックや本棚の重量で、
家自体が傾くリスクがあると家族に言われ、
これはまずいと、なったのだ。
僕はソフトケースへの入れ替えに
躊躇いがあった。
長年親しんだ、手に馴染み、
見慣れたケースたちを
こんなにも簡単に破棄して良いものか、
きっと後悔するのではないかと。不安だった。
しかし、家が傾く可能性を思えば、
背に腹は代えられない。
また、これを機に、
別の在庫のCD100枚と映画DVD50本を
売りに出すことに。
どれを残すかの「選択と集中」の基準は、
僕の夢想の中にある。
というのも、これから先、いつの日か、
ビジネスの世界から身を退いて、
喫茶店でも開業した際に、
店内に流したい音楽のCDは、
とっておこうと。
そして、喫茶店が開業できなかったら、
どこかの地方都市、いや田舎町に引っ越して、
何かの仕事をコツコツ営みながら、
静かに暮らす。
そのとき、平日の夜や休日は映画を観て、
のどかに暮らしたいと。
夢想というより、妄想である。
コツコツ入れ替え作業を進めた。
ひと作品ごとプラスチックケースから
ディクスと小型のリーフリットを外していく。
しみじみ中身を思い返しながら入れ替える。
作業自体はシンプルで難儀なく、
最初のうちは楽。
だけど、次第に両手の親指が
擦れて、ひりひりと痛みを伴ってきた。
それに応じて、作品への回顧が希薄になる。
気付けば、機械作業の如く淡々とやっていた。
少しだけ早いが、
終活のような気分になってきた。
だけど、諸々の甲斐あり、
自室はすっきりとし、不思議な感覚。
そして、新たな衣を羽織った300枚が
どこか新鮮で、かつ懐かしくもある。
LPレコードのジャケットを思い出し、 自分のものになったような気がする。
懸念は杞憂に落ち着いた。
僕の狭い部屋の新しい光景に
冬支度をいざなう秋風が吹き抜けていった。
面倒≦甲斐、珈琲ミルに謝罪した日 [Collection]
900円台の腕時計と、ハスキーボイス [Collection]
眼鏡売り場、盛り上がる [Collection]
ほろ酔いの先にあるもの [Collection]
アイボリー色の優しい存在 [Collection]
小さな腕時計 [Collection]
風鈴の音、掠む色 [Collection]
水色掠め 風に溶けゆく」 弥七
黒い小型の鞄
ナイロン製のブリーフ。
今週、通勤時の鞄を変えた。
GINZA HANZで
吉田かばんのPORTERを選んだ。
とにかく、小型の鞄が必要だと思った。
容量のある大きめの鞄だと
気が付くといつの間にか
物を入れ過ぎている。
鞄の中が複雑になっている・・・。
そして、鞄も痛む。
髪の毛をばっさり切って短髪に。
無理して長袖を着ずに、
半袖のワイシャツに。
人と合わない時間は
ノー・ネクタイに。
手帳のカバーを変えてみる。
机の引き出しを整理する。
水色のラインマーカーを使う。
パスケースはライトブルー。
文庫本のしおりに着いている
紐はパステルシアンブルー。
ライトカラーのハンカチを使う。
珈琲のお供は
レモン味か塩バニラのお菓子、
あるいは定番のヨーグルト・レーズン。
お酒は冷酒か蕎麦焼酎。
あては刺身蒟蒻や山葵豆腐。
新生姜なんかもいい。
夏はそんなふうがいい。
小型の軽い鞄を使って5日経つ。
なんとなく生活も動きも
軽快になってきた気がしている。
Simple is best.
持ち物も身に着けるものも
軽やかでシンプルにすれば
自ずとさわやかな気が放たれる。
この浮世、当世は
明快に出来ないことが沢山ある。
重ねて、猛暑が到来の頃。
せめて、身嗜みや出立ちは
こざっぱりとしていたい。
物事の考え方もシンプルがいい。
単純ということではなく、
きちんと優先順位を決め、
理路整然と処理しいく。
勿論、慌てず丁寧に
ひとつまみの柔らかさを
そっとまぶして整える。
時を得た風鈴が
夏風に揺れる。
ちりりん、ちりりんと
ゆるやかにささやいている。
その残響が
心を静めてくれる。
ひとつの鞄を買って
僕はこの夏を受け入れた…。
やがて風鈴の音は
水色を掠め、
夏風に溶けていった。
時の語り部 [Collection]
さしずめ、時間の伴奏者。
時計以上にものを言う
手帳。
今年も手帳の季節が到来。
ビジネス情報誌で特集が相次ぎ、
ステーショナリー売り場は
色とりどりに陳列、さんざめく。
僕の来年の方針は、今年と同じ。
持ち運び用はFilofaxのジップ、
オフィスのオン・ザ・デスク用は、
「ほぼ日手帳」。
「ほぼ日」にはこの2年、
コニャックブラウンのカバーを付けている。
この手帳は、やはり、実用的かつ情緒的なアイテムだ。
まずはサイズが、大き過ぎず小さ過ぎず、
オン・ザ・デスクに相応しい。
スケジュールはもとより、
その日に受けた電話のメモや備忘録、
出来事など、何でも雑記していく。
書き込んだ情報に日付が紐付いているから、数日経って読み返すと、実に効率的にフラッシュバックできるし、様々に役に立つ。それが楽しくさえある。
また、今日の一言も味がある。
ページの色使いも豊かで、
上質のトモエリバーが
絶妙な心地好さを醸す。
今秋の雑誌での手帳特集でも、
様々な職業や立場の方々が登場、
独自の手帳の使い方を紹介している。
そこには個性がある。
人柄が滲んでいる。
手帳は、使用目的からして、
日記とは異なる。
しかし、手帳の過去のページを読み返せば、
例えスケジュールの羅列にしても、
その時々が脳裏に甦る。
最近はスケジュールのみならず、
心に響く言葉を手帳に貼ったり、
書き込んでいる人が多いようだ。
高倉健さんは言った。
「想いは止められない。
だから俳優をやっている」
様々な想いが手帳に刻まれている。
やはり、手帳は極めてパーソナルで、
改めて自分自身を知ることが出来る。
理屈抜きで、
使い勝手が良く、
気持ちがいいものを
選べばいいと思う。
やがて時を得る暖色系。
コニャックブラウンの革カバー。
カフェオレ色にも似ている。
ほっとする色合い。
手に取った時の質感もいい。
安らぎで
包み込んでくれるよう。
瞬く間の日常、
あっという間の人生。
後悔なきよう
時間を紡ぎたい。
心地好きものと、
共に時を行く。
鞄の中身、職人の道具 [Collection]
ある小島で暮らす時計職人に
密着していた。
彼は時計修理のProfessional。
どんなに古い「今はもう動かないおじいちゃんの時計」であろうが、今は亡き愛する人が持っていた、50年以上眠り続ける腕時計であろうが、
熟練の技で甦らせる。
単に、機械を修理するのではない。
亡き人との思い出や面影を紡ぐ。
過去と未來を繋ぐのだ。
どこから聞き付けたか、
全国から修理の依頼が彼のもとに殺到する。
僕は、その腕前やプロ意識はもとより、
職人としての使命感に、心揺さぶられた。
そして、彼の熟練の技を支えている道具にも、そそられた。
「物作り大国、ニッポン」
と言われて久しいが、我が国には、
民芸品から工芸品、精密機械等に至るまで、
様々な職人がいる。
「職人大国」と言ってもいいだろう。
我が父も、職人のような人だった。
数学の教師であったが、市販の問題集を何冊も執筆し、その仕事への意欲と姿勢はプロそのものだった。
また、僕は最近、身近な寿司職人にも同様の気風を感じている。
この敬愛すべき方々に共通しているのは、
やはり、プロの道具を持っていること。
僕は、しがないサラリーマン。
しかし、Professsionalismを追い続けていきたいと思っている。
だから、道具にもこだわる。
いつも、いくつかのアイテムを
鞄に入れ、持ち歩いている。
まずは、手帳。
ジップ式のFilofaxのシステム手帳。
ちなみに「ほぼ日」は、オン・ザ・デスクで使用。
ボールペンは
伊東屋さんのROMEOを2本。
そして長年使っているプラチナの細い多機能ペン、2本。
そして、忘れてはならないのが
電子辞書。5年前からSHARPのBrainを愛用。
掌サイズ。
こんなに小さなボディに、広辞苑が入っている!!ライトグリーンが優しく、眼が疲れた時は、これを眺めたりしている。
僕のような言葉を生業とする仕事人にとって、広辞苑は必需。
このアイテム、重宝の極致。
道具に力を貰う。
孤独を支えてくれる。
手にすれば勇気が込み上げる。
道具に記憶が刻まれる。
二度と戻らぬ時間を共にしてくれる相棒。
道具にプロの自覚が漂う。
一流の仕事を目指す。
そし道具に、
深い想いが宿る。