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真に大切なことだけ残る。 [ステーショナリー]

数年前から、ある業界新聞2社の
連載コラムに寄稿している。
ともに長年お世話になっている
編集者からの頼まれ事だ。

1社は毎月、もう1社は四半期ごと。
ともにどんなテーマで書くかは自由、
かつ、ペンネームでの執筆。
とはいえ浅学非才ゆえ
枯渇しそうな知恵を絞り、悶絶しながら
何とか続けている。

そんな中で、
つくづく実感するのは、
文章作りとは、
決められた文字数内に
如何に収めるかの、
文字削りと磨き上げの作業だと。

例えば文字枠が560文字の場合、
だいたい650文字程度を意識して
内容と筋立てを決めて、
比較的無頓着に書き込んていく。

その上で、接続詞の必要性や、
展開と言葉のリズム、
若干の捻りを盛り込んで
削っては言葉を変え、
変えては削って、文字総数を減らす。

最後は、必要な言葉が
必要な順序で並んでいる。
仕上げたときは勿論、
自己満足だが光沢がある。

ところで、昨日会社で
2023年度の仕事を終えた。
月曜の4月1日は、
2024年度の仕事始め。
その支度として
今朝から手帳の手入れ。
オイルと布で本皮を磨き、
中身のページを吟味した。

僕はこの数年、
システム手帳のミニ6穴、
fILOFAXのNAPPA、
PocketSlimを愛用している。

手のひらサイズであり、
さほど厚みはない。

だからページ数に限りがあり、
如何に必要なリフィルだけを残すか、
この作業が悩ましくも
実は楽しくて仕方ない。

月間スケジュールページは
3ヶ月分しか入れず、
週間スケジュールは2ヶ月のみ。
あとのリフィルは
頻繁に確認する計数や情報、
自分にとって大切な言葉のページ。

これらを自分の好きな順番に
入れ替え、差し替えしながら
手帳を耕して、熟成させていく。

思えばこの作業、
文章作成の文字削りと似ている。
限られたスペースに
如何に大切なことだけを残すか、
最適な順番に配すか。
それは真に大切なものを
浮き彫りにする、知を伴うだけでない
心の作業である。

手帳と文章作成の違いは、
文章は読者のためにあり、
手帳は自分のためにあるということ。

いずれも、想いとか真心を宿して、
磨き上げれば、そこに喜びがある。
その喜びを手手帳に刻んでいく。

今年度もお疲れさま、
来年も仕事も執筆も気張れよ!
と自分に言い聞かせ、
今日の筆を置く。

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「理屈じゃ、ねえんだよ」 [世相・センス]

「理屈じゃ、ねえんだよ」

と、立川志の輔さんが決め台詞。

龍角散ダイレクトのCMだ。

渋みある声に滋味あり。


僕のオフィスが入るビル、

そのエントランスフロアのコンビニに

有能な店員さんがいる。


そのお店で珈琲を注文すると、

カウンター内で店員さんが

操作して淹れてくれる。


その店員さんは、珈琲を頻繁に注文する顧客を把握しており、そのお客さんの来店に気付くと瞬時に珈琲サーバーにカップをセットする。そして、想定通りお客さんが注文すると、空かさずスイッチをオンにする。ドリップ完了のランプ点灯と同時に珈琲カップを差し出す。

この一連の流れるような所作と手際。

凄いものを見せて頂いたと思える。


それだけではない。もっと圧巻がある。

珈琲を受け取ったお客さんが、その場でミルクやガムシロップを入れるとき、その小さな容器の破片、あるいはレシートか何かを床に落とた瞬間、彼女は

「大丈夫ですか?珈琲の蓋を落とされましたか?」

といって、既に、珈琲カップの黒い蓋をお客さんに差し出しているのだ。



「理屈じゃ、ねえんだよ」。

彼女はきっと頭を使って仕事をしているのではない。プロとして自分の役割に全身全霊を尽くしているのだ。


僕は彼女をもう10年以上、客として見てきている。大袈裟かもしれないが、お客さんの表情や動きの微細を観る「虫の眼」、店内全体の違和感や変化を感じ取る「鳥の眼」、お客さんの動線や安全安心に基づき商品の陳列を考える「魚の眼」を持っている。


「理屈じゃ、ねえんだよ」。

彼女は仕事に没頭しているのだ。


ところで僕は、コンビニに限らず様々なお店の店員さんの笑顔や応対の素晴らしさに感動する一方で、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の一言もない、微笑もない店員さんに、がっかりする癖がある。


これは良くない思考だ。これこそ、まさに「理不尽じゃ、ねえんだよ」である。

その店員さんが無愛想でも、その実、それはその店員さんの、そのお店の自由なのだ。僕が不快に感じること自体が理不尽なのだ。いわんや文句を言う、苦情を申し立てる次元の話ではない。きちんと出勤して、僕を相手に仕事をしてくださり、ありがとう、で良いのだ。そこにあるのは、客の選んだ商品を受け取り、会計処理をしているという事実だけ。それを僕個人がどう解釈しているかに過ぎない。単なる主観である。


ことほどさように、素晴らしい応対をしてくれた店員さんに感動するのも主観だ。

人間だもの、感銘も煩悩もある。

そのうえで目の前のことを丸ごと感謝して受け入れ、仕事以外はあまり理屈で考えない。


正しさよりも優しさを大切に生きる。

「理屈じゃ、ねえんだよ」。



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浪漫鉄道 [MUSIC]

日本漢字能力検定協会が先日、
2023年の漢字は「税」と発表。
世の中の出来事、世相からの一字を
一般公募した結果です。
一方で、人それぞれにも今年の漢字があります。悲喜こもごも、百人百様の一字が。
今年10月8日、歌手の谷村新司さんが逝去。
ファン歴40年以上の僕には痛烈なショック、悲報でした。
谷村さんは「生かされていること…それが旅」と仰っていました。この年の瀬、何故か谷村さんの「浪漫鉄道〈途上篇〉」という楽曲が胸をよぎります。穏やかでいて力強いこのバラードの谷村さんの熱唱が蘇っています。
特にこの歌が最高潮になる2番の歌詞が僕は好きです。
♫「少年は空を見てた
それが愛だと気付かず
瞳の中を流れる雲が夢だと気付かず
錆色の古い写真に誓う約束
日々の暮らしに疲れた胸が今から騒ぐなら
途上に迷いながら、走り続けよ旅人
砂塵にその身委ねて、大いなる旅路を行け
途上の土に乾く夢ならば悔やむまいぞ
遥かな地平を見つめ、
永睡るなら悔やむまいぞ
遥かな地平を見つめ、
大いなる旅路を行け」♫
谷村新司「浪漫鉄道〈途上篇〉」
1980年制作のこの曲は当時、CMソング。そのEP(シングル)レコードには、A面に途上篇、B面に蹉跌篇が収められ、両曲ともメロディは同じで歌詞は異なります。
谷村さんには「昴」や「陽はまた昇る」「いい日旅立ち」「サライ」など、明日を生きる希望を照らす楽曲が多いです。この「浪漫鉄道」は今では蔵出しの名曲といったところでしょうか。
谷村さんの持論「人生は旅路」に、
改めて僕は以下に思いを馳せます。
日々の暮らしや仕事で
僕らは様々な局面に遭遇する。
それを前提として
ときにおびえてもいい。
ときに震えてもいい。
たじろぎ、おののいてもいい。
それでも、ありったけの力を振り絞って、
懸命に立ち上がる。
「遥かな地平」を見つめ、謙虚に自省し、
命を全うしようとする自分を褒め称える。
それが人生の熱唱。
その先にあるのが
生きる目的である魂の成長。
グッドルーザーという言葉がある。
勿論、人生は勝ち負けではない。
でも競争社会であることも事実。
「失敗は成功の素」は今や陳腐な言葉。
だけど、敗北から何かを学んだ人、
失敗から大きな気付きを得た人、
挫折から謙虚に自分を見つめ直した人、
自分だけの力で生きているのではない
と知った人は、誰もが勝者。
生きていれば勝ち。
対戦相手は自分だから、
マットに沈まずに、
生きてさえいれば、
誰もが最強なのだと。
僕はもはや、谷村さんの熱唱する「大いなる旅路」を目指す歳ではないけれど、今まさに旅の途中であり、幾つになっても新たな路を探す自由はあります。
僕の2023年の漢字は「幸」です。
日々、諸々の課題はあれど
今が一番幸せと実感出来るからです。
ここ数年、「生」「喜」「歓」「楽」
といった漢字が続いています。
最後までお読みくださった皆さま、
いつもフォローくださっている皆さまに
心からの深謝を捧げます。
本当にありがとうございました。
皆さまの、来年のご多幸を祈念し
今年の筆を置きます。
どうぞ良い年をお迎えください。

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一瞬ごとの。 [CINEMA]

「あの人は、でかいね。
いつも穏やかで、心静か。
どんな人にも、どんな出来事も、
どんな屈辱も戯言も、
にやりと微笑み、包み込んでしまう。

不機嫌にいじけたりせず、大きな懐で
小さなこだわりや、わだかまりを
丸ごと受け入れられる人。

人の態度や姿勢を変えようとせず、
目の前のこと全てに感謝し、
柔らかく引き受ける。

器が違う、度量が違う、人格が違うのだ。
自分の欠点との戦いに勝利している。

あらゆる悲哀、艱難辛苦をも
飲み込んだ孤高の境地の微笑み。
天から賞賛される人。

そう言われる人に私はなりたい。」

僕は、2020年のアニメ映画「ソウルフル・ワールド」を鑑賞後、傷心を負った若い頃に僕が作ったこの文章を思い出したのでした。

この映画のBlu-rayを買ったきっかけを思い出せないのです。本かネットで推薦されていたのか。僕はジャズ好きなので、その方面の人から教えて頂いたか。
いずれにしてもいい歳したおじさんである僕が、この作品とのご縁を頂き、大感謝、歓喜なのです。  

舞台は米国、ジャズの街。非正規雇用の音楽教師ジョーは、ある日、校長から、正規採用が決まったと言われる。喜ぶ反面、彼にはプロのジャズピアノミュージシャンになりたい夢があった。その直後に彼にジャズの大スターとの共演の機会が訪れる。その矢先、彼はマンホールから転落、不思議な世界に迷い込むのだった。
そこは人間が生まれる前の、魂の存在が集うワールド。そこで彼が経験したとは。

ネタバレはこれくらいにして、僕は本作は子供向けアニメというより、ジャズを楽しむ作品というより、大人向けに、人が生きる意味を問うた名作だと思いました。

僕らの生きる世界では、
楽しいことばかりではなく、
哀しくて、しんどくて、
憂鬱に感じることも多々あります。
哲学の書では、そういうことも
有り難い、必然のこととして
受け入れよとありますが、
辛いことを楽しく感じることは
人間なのでなかなか難しい。

でも甘味ばかり食べていたら飽きるし、
塩気のものも食べたくなる。
酸っぱいものも、苦味のあるものも。
ビターなスパイスを含めて人生の味わい。

どんな出来事も、
街角で風に揺らぐ木々の葉も、
陽光差し込むせせらぎも、
その瞬間ごと、息づく何かが必ずある。
何ごともない日常がどんなに有り難いか。

僕らの生きる一瞬一瞬が
宝物のような輝きのある時間なのだと
本作は教えてくれます。

瞬間ごとの出来事に感謝して、
苦味も含めて笑って包み込む。
吹き飛ばすことが出来る人でありたいと。

この作品を観終わって、
僕はミスターチルドレンの「HERO」の
歌詞を思い出しました。

「人生をフルコースで深く
味わうための
いくつものスパイスが誰にも
用意されていて
ときに苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを
笑って食べる君のそばに、
僕はいたい」

最後までお読み頂き、
ありがとうございました。


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黒い輪の開いた先へ [世相・センス]

「えっーと、右」
「上」
「下ですかね」
「上に見えますが」
「うーん、右かな」

眼鏡を新調しに昨日、眼鏡店兼眼科へ。
視力検査はいつもなぜか緊張する。
左右と上下、黒い輪の開いている方向を
見えるものは見える、
見えないものは見えないのであって
嘘や勘では答えない。
それで良いはずだ。緊張はおかしい。

でも下の段へ、黒い輪が小さくなるにつれ、下とか右とか、はっきりくっきり見えているわけではないのに、何となく「下」にみえれば、「下かな」「下ですかね」と答えてしまう。また、それが当たっていたようで、どんどん小さな輪のほうへ、テンポ良くスピーディーに進んでいく。

面白いもので、こういう時、人の性格は出る。左かなと感じたら「左に」と言えば良い。「もしかしたら」とか「おそらく」という趣旨の余計なことは言わない方も多いだろう。僕はなかなかそうは出来ない。

視力の検査技師さんは手慣れたもので、顧客の答えに応じて、判断が早く、迷っている気配がない。色々なレンズをケースからつまみ上げては、検査用の眼鏡にはめ込んでいく手際もプロフェッショナルだ。

視力の検査技師資格は、取得の難易度がかなり高いときくから、スピーディーでも雑な印象はなく、信頼感を覚えてしまうものだ。

僕は、視力検査マニュアルなるものを読んだことがないので判然としないが、顧客が不安げに「右かな」とか「左のような気がします」と言ったとき、技師さんたちは心理はどうなのだろうか。

「このお客さんの答えは、自信なさげで危うい言い方だけど、当たっているということは、見えていると判断するので、気にせずどんどん進めよう!!」
「いちいち顧客の迷う心理に応じていたら、先に進めない。言葉尻にとらわれず、掟の通り、迷わず進めだ!!」

こんなところだろうか。
というか、そうであるとしか思えない。
そうだ、きっと「当たっている」ということは、「見えている」ということなのだ。

余談だが、今回僕は、コンタクトレンズ着用時の老眼鏡が見えにくくなってきたので、新調しに赴いた。今回の視力検査の結果を担当の技師さん言った。

「お客さまは経年で視力が回復しています。よって、老眼鏡を変えるのではなく、コンタクトレンズの度を弱めることをお勧めしますがどうでしょう」

この歳で視力が回復するなどの知識は持ち合わせていなく、些かびっくりした僕は、
貫禄のプロの意見に従う以外の選択肢はない。

プロフェッショナルな検査技師さんを信じ、そして、様々なシンキングタイムの場を下さり、「ありがとう」の言葉を彼女に捧げた。それが僕にとっての黒い輪の開いた先。いずれにしてもしばらく、我が視力の様子をじっくり見ていこうと、眼鏡店を跡にした。


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孤独の先にある希望 [MUSIC]


♪「バラバラさ、人生は。
いくら寄り添ってみても。
震える心までは抱きしめられはしない。
だから、独りで、だから独りで
生きるしか、できなくて、
不器用だけれど、それしか出来なくて」♫
アリス「セントエルモスの灯」

谷村新司さんの楽曲には、
人の心の孤独な内側、
孤高の姿を描いた作品が多い。
最たるものは代表曲「昴」。

♪「眼を閉じて何も見えず
悲しくて眼を開ければ
荒野に向かう道より
他に見えるものはなし。」

「我は行く、蒼白き頬のままで
我は行く、さらば昴よ」♫
「昴」谷村新司

10月8日に谷村新司さんが逝去された。
我が青春時代はアリス全盛期。
谷村さんの楽曲と共に、
我が過ぎ去りし日々の、
数々のシーンがあった。

こうした曲を聴きなおして、今想う。
谷村さんが伝えたかったことを。

谷村さんがこれらの曲に込めたのは、孤独の諦念や、独りで我が道を行く勇気だけではなかったのだろうと。

♪「哀しみ背おいて、家路を辿れば
遠くに揺らめく憩いの灯火。
心に冬の凪、引きずる鎖をほどけば、
ほどけばその足も傷まぬものを。
ああ年老いた、白き狼よ
誇りを今捨てて帰れ、ねぐらへ」♫
谷村新司「天狼」

その孤独の先にこそ、人のぬくもりの尊さ、有り難さがある。それは希望だ。

人は一人でこの世を去る。
だけど、そこまでのいとなみや旅路で、
様々な出会いや、心のふれあいがある。
だからこそ、人生は素晴らしい。
孤独を知ればこそ、それを実感出来る。

谷村さんが想いを込めたのは、
孤独の先にある希望なのだ。

45年前に山口百恵さんに
捧げたこの曲もそう。

♪「ああ、日本の何処かに
私を待ってる人がいる。
いい日旅立ち、夕焼けを探しに
母の背中で聴いた歌を道連れに」♫
山口百恵「いい日旅立ち」

合掌


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それぞれの選択〜手帳の佇まい(26) [ステーショナリー]

今年も早くもそんな頃合い。
来年用の手帳の支度。

伊東屋さんの第7回「システム手帳サロン」が6日(金)に本店10階で始まった。
毎年顔を出しているが、ここ数年前の僕の関心は新作の付属品(リフィル類等)。

この30数年で20数冊のシステム手帳を買ってきたので、もう本体を新調する必要はない。それより既に我が人生と共に歩いてくれた品々を愛でながら、その本革を熟成させ深めていきたい。

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今はfILOFAXのNAPPAを2冊を愛用。
バイブルサイズ(パーソナルスリム)とミニ6穴(ポケットスリム)だ。
バイブルの方には「スケジュール(マンスリー)」と「ライフ(生活信条)」「各種データ」を綴じ、ミニ6穴の方には「スケジュール(ウィークリー)」と少々の「データ」を入れている。

NAPPAは、柔らかくしっとりした革の手触りが良く、光沢も素晴らしく、ページの開きかげんも良い。この2サイズを親子セットのように、もう5年使い続けている。
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勿論、来年もこの2冊で行く。 
かつてのように、自分にとっての苦労や壁に直面しても、げんを担いで、手帳を変えたりはしない。もうよい歳であり、経験でその必要がないと知ったからだ。

ところで、伊東屋さんの「システム手帳サロン」への食指が動く付属品について、僕の思い入れがひとつある。

伊東屋さんの「システム手帳サロン」では数年前までマルマンのノートシリーズ「Mnemosyne(ニーモシネ)」製のリフィルノートで
伊東屋さんのこのイベント限定品(N155)があった。それはバイブルサイズの方眼リフィル80枚を一冊のリングノートに束ねたもの。
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上等な紙質で、しっかり6穴が空いている。
普通にリングノートとしても使えるし、
ミシン目部分からリフィルを切離せば、
記載内容の分類ごとシステム手帳にセットすることも出来る。
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分厚くないので、かさばらず、鞄の中でもスマートに収まり、重くなく、高級感と実用性を兼ね備えた逸品であった。

これが数年前からか、同イベントで販売しなくなり、その後も伊東屋の店員さんに何度か訊いたが、既にバイブル版は製造しておらず、通常手に入れることが出来ないとのこと。

僕は、最後に同様商品が扱われていた「システム手帳サロン」で10冊(2日間で)まとめて買った。なぜなら、その前年の同イベントでこのノートは確か2日目くらいに売り切れてしまったからだ。だから需要は十分にあると僕は思っている。あの時僕が買った10冊もはや残り少なく、丁寧に使っている。

同様の製品はなくはない。例えPLOTTERのリフィルノート。これはニーモシネのそれと同様の作りで システム手帳に挟めるし、バインダーにそのノート本体をバインドすることも出来る大変優れた作りになっている。また、リングノートではないので、さらりと簡単にページがノート本体から剥がせる。 
その実、僕に限ってはそれが難点で、例えばそのページに貼った付箋(ポットイット)を剥がそうとした場合、ページそのものもノート本体から剥がれてしまうのだ。

そんな僕なりのこだわりがあり、ニーモシネ製を探しまわったが、これほどの高級素材を使ったバイブル版は見つからなかった。万年筆で書くことが多い僕にとって、このニーモシネの材質はうってつけなのだ。
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とはいえ、何かにそんなに執着する歳ではもはやない。あるものを、手に入れられるものを、可能な限り使い尽くしていくこと。

ないなら、ないなりに暮らし、過ごしていくこと。今あるものを修理したり丁寧に手当てし、使いこなしていくこと。

そういう価値観、美学を持ちたいものです。日々生きていること自体に感謝ですから。そんなふうに思っています。


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7人の物語 [世相・センス]

5月の5類移行、
マスクなどする必要はなく、
3年半前のように、
感染脅威などに、おおのかず、
体調からに努めながら
安心して暮らしていけばいい。
これは事実だろう。

東京や神奈川のJRや私鉄に乗ると、
だいたい長椅子は7人がけ。
正面に座る7人のうち、
何人がマスクをしているかを
僕は必ず確認してしまう。
まずもって、これが僕の悪い癖。

僕は外出中、会社にいるときでも
必ずマスクをしているので、
同様の方々を見て安心したいのだ。

車中の正面7人のうち、
マスク着用はだいたい3人で、
勿論、僕の印象ではあるが、
4人いると、過半数突破で、
かなりほっとする。
稀に7人全員が着用していると、
僕は心の中でガッツポーズを取る。

この背中を押してくれるようなシーンはその実、幻想なのだ。7人の方々にはそれぞれ別々の事情や考え方があるはずだ。

僕がマスクを着ける理由は4つ。
①基礎疾患のある高齢者と暮らしており、僕が感染病の菌を家に持ち帰るわけにいかないこと。
②僕自身持病があり、予防することは周囲に迷惑をかけず自ら人生を楽しむために必要であること。
③僕には若い頃から季節の変わり目に咳き込む体質というか癖があり、この3年間のマスク生活でそれが全くなくなったこと。
④現在インフルがかなり流行とのこと。社内のメンバーからも子どもたちの学級閉鎖の話を聞く。マスクは様々な菌が体内に入るのを予防してくれる確率が高いと信じていること。

そんな僕の職場内で、マスクをしている人は僕以外見当たらない。にも拘らず、先月中旬、僕は感染陽性になってしまった。全くお笑いぐさである。

隔離生活を得て職場復帰したが、まだ絶好調とは言えない。だから、職場では当然にひとりマスク姿を貫いている。

「周りがこうしているから」「自分だけ浮いてしまうから」と、もう周囲を気にする歳ではないのだ。誰かに迷惑をかけるものではないと客観的に判断できるなら、My Styleで、自分を労りながら過ごしていくことも肝要。罹患したのに重症化しなかったことに感謝は尽きない。本当にありがたい。

我は我。我が道を行く。我が人生。
そう、僕には僕の事情、物語がある。

7人にそれぞれの考え方、
物語があるように。
正しいことはひとつではないし、
正しいとか正しくないの話ではない。

来週からは僕はもう、
7人のカウントをやめる。
そして日常に帰り、溶け込んでいく。
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思秋期 [MUSIC]

1977年。乙女心あふれ、涙止まらず。
そして名曲が生まれ、刻まれた。

幾多もの哀感あるメロディを紡ぎ出した三木たかし。
守備範囲が圧倒的な作詞家、昭和歌謡の巨人阿久悠。
1977年の岩崎宏美「思秋期」は、そんなヒットメーカーたちによる秋歌。

♪「足音もなく行き過ぎた
季節をひとつ見送って
はらはら涙溢れる私、十八

無口だけれど温かい
心を持ったあの人の
別れの言葉抱きしめ、
やがて十九に」♫
岩崎宏美「思秋期」

レコーディングの際、岩崎宏美はこの歌詞と自分の感情が重なり、涙が溢れ、何度も中断したと、阿久悠の著書「夢を食った男たち」(文春文庫)にある。
阿久先生は何故少女の心が分かるのだろう、と岩崎宏美は不思議がったと何かで読んだ。

♫「心揺れる秋になって
涙もろい私
青春はこわれもの
愛しても傷つき」
青春は忘れ物
過ぎてから気がつく」♪
岩崎宏美「思秋期」

この歌で岩崎宏美は、日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
それ以上に岩崎宏美にとっての幸福は、高校を卒業した秋にこの曲と出会い、創作の世界で、感情が止まらず、涙溢れて、何度も録画し直したことだろう。
制作スタッフにはお疲れさまと思うがこういう経験が出来た岩崎宏美は本当に幸せなシンガーだと思う。

♫「誰も彼も通り過ぎて
二度とここに来ない
青春はこわれもの
愛しても傷つき」
青春は忘れ物
過ぎてから気がつく」♪
岩崎宏美「思秋期」

僕らは仕事でそんな想いを
生涯何度経験出来るだろう。
そして阿久悠の性別を越えた、
人の涙への熱い眼差しに脱帽。

我、あれこれ想う。
深まりゆく朝空に、秋思かな。

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人生太鼓 [世相・センス]

♪「どんと、どんと、どどどんと、
どんと、どんと、どん」♫

リズミカルで乾いた太鼓の音。
心が踊り出すようです。

輸入家具やインテリアを扱うビジネスパーソン、井之頭五郎(松重豊さん演じる)が
外商先の街で、食べ物屋さんに飛び込み、食を堪能するドラマ「孤独のグルメ」。
この番組をこよなく愛する方は大勢いますよね。僕も長年の大ファンです。

いつも考えるのは、何故、
限りなくワンパターンなこのドラマに
これ程までに惹かれるのかということ。
僕にとってその理由のひとつは、
BGMの太鼓の打音。

独り入ったその店で
五郎さんが食べ始め、
食指が動き、気持ちが乗って来ると
流れるあの太鼓。

♪「どんと、どんと、どどどんと、
どんと、どんと、どん」♫

これだ!!と僕は思うのです。

これを日曜の午後に聴くと、
明日からの一週間もまた頑張るぞと。
というより、楽しく過ごそうと。
この太鼓の軽快なリズムのように。
乾いた感じで。

僕は太鼓に明るくないのですが、このリズムは、自分と周囲の波動や振動を軽快に震わせて、我が心を良い加減に踊らせてくれるのです。

やはり、これだ!!と僕は思うのですよ。

少し大袈裟かもしれませんが、
日々生きることも、これだと。

僕らが経験する喜怒哀楽も、
この太鼓のリズムで迎えればと。
太鼓のリズムが終れば
静寂が訪れます。
心の中で振動が沈殿していきます。
副交感神経が働くように。

鼓動が揺れ、心が高鳴り、
それが止み、落ち着く。
交感神経と副交感神経のバランスです。

喜怒哀楽の総量、人生の醍醐味を
太鼓が滋味深く、貴く奏でるよう。
この打音の刻みが明るい波長が生み、
楽しい何かを手繰り寄せます。

であれば、日々の出来事を
この太鼓のリズムで迎え、
一瞬一瞬を楽しもうではないかと。
それが生きる活力に結ばれます。


♪「どんと、どんと、どどどんと、
どんと、どんと、どん」♫

皆さんのこの日曜、そして来週以降が
素晴らしい日々となりますよう
祈念します!

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雲の間 [世相・センス]

♪「ひとつだけ、ちぎれた雲に
もしも心があるとするなら、
どこに惹かれてこの街へと流れ来たのか、
そして、どこへと行くのか」♫
伊勢正三「想い出が尽きない夜」


水曜の午前9時、大学病院の待ち合いの席。
2つの科にお世話になることになり、
配布された小型発信器を片手に
診察のベルが鳴るのを待っていました。

果たしてどちらの科が先に
僕を呼んでくれるのか、
両方の科の検査などを考えると
午前中には終わらないだろうな、
早く仕事に戻らねば、などと
どこか落ち着かない気持ちです。

心許ない僕の座るその長椅子の空間は
巨大スクリーンのような
大きな窓に面しています。
僕は窓の向こうに広がる青空と、
幾重にも層になっている雲を
何気なく見上げました。

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すると、あることに気がついたのです。
あれっ、雲が右から左へ
ものすごくゆっくりと動いている‥‥。

この当たり前過ぎることに、
発見と驚きがあることの不思議。
当然に雲は留まることを知らず
動いては消えゆくもの。
だけど日頃、暮らしの中で
その瞬間を目で確かめることは
殆どなかった、この事実。驚き。
それ程に慌ただしく、せっかちに
人生を刻んでいる。

♪「心にはいつか消えてゆく
長い影法師をひいて
こんな賑やかな街並みに紛れていると
過ぎたあとに知る季節よ」♫
伊勢正三「想い出が尽きない夜」

大きな窓、そのスクリーンの右から左へ
静かにゆっくり動く雲。背景色は青。

僕は何を急いでいるのでしょう。
今というこの「間(ま)」を
楽しまねば嘘。はたと思いました。

最近、本や雑誌で
今の若い方々が動画などを
早送りして観ることが話題に。
動画の内容、話の筋だけを確認するため、
要は情報を効率的に把握するため
倍速にして閲覧するのだと。

これは若い方々に限ったこと
ではないと思います。
僕だって録画した番組を
早送りして確認します。
でも確かに、画面の向こうで
話ている人たちの「間(ま)」、
息遣いや声の強弱、表情の濃淡、
強調している内容は判然としません。
その「間」もきっと、
情報や知識、話し手の主張を
把握する大切な要素なのかもしれません。

映画やドラマなら尚更です。
作り手の想いや狙いを
無視していることになる。

ことほどさように、急いで生きている。
なかんずく僕自身はそうだと
自覚しています。
通勤時に次の電車に間に合うよう
小走りになるし、
車中では席取り合戦に興じています。

反省しきりです。
雲は教えてくれます。
人類誕生以来、刻々と同じスピードで
地球は周り、人は生き、やがて去る。
その時々を楽しまなければ、
味わうように過ごさねば、損。

半世紀以上生きていて、
それくらい判って良い歳ですよ。
呆れて笑いが出ました。
誰かに迷惑をかけない限り。
いや、お互い様お陰様かなと。

病院の待ち合い席で、
空を見ながら、
にやけて笑う男ひとり。

♪「幸せにわざと背を向ける、
そんな寂しい男たちの住む街。
見慣れた空の街角」♫
伊勢正三「想い出が尽きない夜」

今日もお付き合い頂き、
ありがとうございました。


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「ごちそうさまでした。美味しかったです。」 [世相・センス]

昨日の朝日新聞に、
ロイヤルホストの社長さんの記事があり
同店では配膳ロボットは使わない
という趣旨でした。
注文を取ったり配膳したりは、
やはり人が成すべきものだと。

先月、午前中で人間ドックを終えた僕は
少し早いランチへと、
クリニック近くのファミレスへ。
1番奥の席に着くと
テーブルには小型タブレットが
備え付けられています。
周りを見ると全席にも。
今やファミレスなら常識ですね。
僕はそこから
ハンバーグとエビフライのセットを注文。

暫くするとガシャガシャガシャと
大きな音を立ててロボットが現れ、
注文した料理を運んでくれました。
どこか健気な感じがあり、
どこか人間に働かされている感もあり、
ありがたいと思いつつ、
申し訳ない とも感じました。

勢いよく料理を平らげると僕は
この満足感を直接伝えたくなりました。
閑散とした店内、
店員さんは奥にいる気配。
いちいち呼び出しボタンを押すのも
憚られました。 

仕方なく僕は帰り支度をしてレジへ。
するとそこはキャッシュレスコーナー。
店員さんを呼ばない前提のシステム、
自分で画面を操作し、
クレカや電子マネーで支払う仕組み。
僕は従順に決済の手続を済ませ、
出口に向かおうしたときでした。

「ごちそうさまでした。」
を言っていないことに気付き、
振り返るとやはりそこには誰もいません。

少し寂しくなりました。

いやいや、店員さんがいないほうが
自由な感じだし、
気兼ねなく落ち着けるという方も、
いらっしゃるでしょう。
そうかもしれません。

お店側でもコスト(人件費)削減、
業務効率化を進め
その分手頃な価格で料理を提供出来ると。
僕などの「ごちそうさま」の言葉は
特に必要ないのかもしれません。

でもどこか寂しい。
空虚なこの感じはなんだろう。 
僕にとって近所ではないこの地域の
このお店は、きっと
年に一度の人間ドック帰りしか
立ち寄らないかもしれません。

それだけの関係です。
馴染みのお店、行きつけ
という関係には必然として
ならないでしょう。

でも寂しい。わがままでしょうか。
美味しく頂いたことへの感謝、

「ごちそうさまでした。
美味しかったです。」

このひとことが宙に浮いたまま、
僕はお店をあとにしました。

「本当に美味しかったですよ。
また来年の盛夏に来ますね」と
ぽつりと呟きました。

当然にこの声も宙に浮いたまま。
この心、感謝は誰にも届かず。
テーブルにアンケート用紙があれば
そこに書けば良いのでしょうが
それとて人を介していません。
僕の感謝の押し売りは不要かも、ですね。

時代の変化、デジタル化は
人の気配を消したまま、
少し寂しい風情で
世の中を覆っていきます。

料理に200円ないし300円足しても良いから
無機質でなく、雑駁としていない空間で
店員さんの笑顔と優しい雰囲気に包まれ、
食事がしたいなぁと。

「であればそういう店に行けば良い」
それは確かです。立地次第ですかね。
僕が満足を得たいのなら、
自分でもっと苦労せい!なのかもです。

今後の飲食店では、
給士を担うフロアスタッフの方々の、
プロフェッショナル人材としての
価値が高まると僕は思います。
ロボット化やデジタル化の時代
だからこそです。
人としての接客力の魅力が引き立つ、
かえって浮き彫りになると
思えてならないのですよ。

30年近く前のTVドラマ、
三谷幸喜さん脚本の「王様のレストラン」
では、松本幸四郎(現・松本白鸚)さん
演じる大ベテランのギャルソン(千石さん)が言います。
「レストランで食事を楽しむ
ということはその場の雰囲気も楽しむ
ということなのです。」


ロイヤルホストさんは、
長年レストランという業態を
大切に保って来た佇まいがあり
僕は好きです。
時代に流されない雰囲気、
おもてなしの心を大切にする
社長さんの姿勢を僕は
心から応援します。


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きらめきの造形美、やすらぎのフォルム [ステーショナリー]

その姿、佇まいを見るだけで至福。
使い勝手や実用性だけでは
どこか寂しいのです。
もう一歩先へ。

20230730_074423.jpg

一本のボールペン。その造形美。
そして重量感。手触り、質感。
日々の仕事や暮らしのなかで
その感覚を楽しむくらいの余裕が、
ほしいものです。
日常遣いのアイテムですから。


1.きらめきへの羨望
〜長年愛用PLATINUM

多機能ペンではPLATINUMか
ジェットストリームを愛用してきました。
特にPLATINUMは美観が良いのです。
ボディの太さが丁度良く、
上品な光を放ち、きらめいています。
また、ボールペンの色を変える際の
ボタンの位置がボディ縦中央に。
だから書く際にそれが隠れるのです。
大抵のペンの機能切り替えボタンが
尾っぽにあり、書くとき丸見えに。
それを否定するものではありませんが
僕はそれが隠れたほうが美観として
どこか安心するのです。
20230805_063104.jpg

2.やすらぎへの憧憬
〜PILOTの木製、木軸のペン

グリップ部分の手触りが絶妙。
特にPILOTのS2Oシリーズの細いボディ、
温もりを感じる握り心地が大好きです。
また同社LEGNOシリーズは
書き心地というより、ペンケースに
入れて置くだけで安心感を覚えます。
クラッシックな造形に触れると
心静かになれます。
20230729_160916.jpg

3.強さへの私淑
rotring、LAMY、FABER CASTLEなど
ドイツ製ペン
頑強で研ぎ澄まされている感じで、
グリップ部分の工夫など機能美も。
全体の完成度の高さに目をみはります。
20230729_161058.jpg

特にrotringは不思議と安らぎを感じる
重量感があります。
また最近は鉛筆メーカーの
FABER CASTLEのシャープペンも愛用。
長年仕事でシャープペンを使うことは
ありませんでしたが、
文具店に陳列されたFABER CASTLEを
眺めていると、その美しさに見惚れ、
思わず数本を購入してしまいました。
書き心地も抜群で、アイデアの構想を
方眼目のノートに書く際は
紙という海をすいすい泳いでくれます。
20230729_161352.jpg


最後に。

ペンの好みは百人百様。
グリップ感や美観の好みも違うし、
価値観の置きどころも。
高級ペンてはなく、
廉価なペン
(僕はuni ball Signo0.38も大好き)
を日常遣いにされている方も
大勢いらっしゃると思います。

記述方法はデジタル化、
AIで進化が加速していますが、
自分にしかない筆跡を紙に記すことは
ペンなどの筆記用具でしか
成し得ません。

そういう意味でも
自分なりのペン選びに
こだわって良いと思います。
この小さな贅沢が
仕事や暮らしに彩りを
添えてくれます。

自分なりの逸品ペンをたずさえ、
ありがとうの想いを託して
日々を生きたいですね。

今日もお時間頂戴し、
ありがとうございました。

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「街路樹は知っていた」 [MUSIC]

45年前、日本の人気バンド「アリス」が
出した名盤「アリスⅥ」の中の一曲に
こんな歌詞があります。

♪「人影も見えない駅の
椅子にそっと寝転んで
煙草を吸っていた

街の灯がともり始めて
こんな私に問いかける、
寂しくはないかと

夢だけはなくしてない
たとえ今日が悲しい日でも

街路樹はいつも見ていた
こんな私のちっぽけな
喜びと悲しみ」♫
「街路樹は知っていた」
作詞:谷村新司、作曲:堀内孝雄

ここ数日のテレビニュースで
ある企業が除草剤などをつかって
街道沿いの樹木を枯らしているとの
疑いがあることを知りました。
ロードサイドビジネスとしては
街路樹は邪魔だと。

この報道で僕は45年前、
中学生の頃に夢中で聴いてきた
アリスのこの歌を思い出したのです。

当然のことですが、
街路樹は私有地の私物ではなく、
その殆どを自治体が管理しています。
街の美化や事故防止のために。

思えば、街路樹は生活者を見ています。
擬人化というより、どこかリアルに
そう思うのです。
その地域に生きる人たちの暮らしを
何年も見続けていると。

誰も知らないあの人の配慮。
知る人ぞ知るあの人の優しさ。
そしてときに、
言いたいけど言えなかった
誰かの悔しさも、
心の内に秘めた、
伝えられなかった、届かなかった
誰かの想いも。

うたかたの夢も希望も。
喜びと感謝も。切なさも儚さも。

全てを街路樹は知っていると。

今更ながら街路樹に、
ありがとうを捧げたくなります。


♫「通い慣れた駅までの道、
今日は何故か涙が落ちて

街路樹はいつも見ていた
こんな私のちっぽけな喜びと悲しみ
喜びと悲しみ、喜びと悲しみ」♪
アリス「街路樹は知っていた」


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優しい風を吹かせて [世相・センス]

街角で、あるいは電車の中で
携帯扇風機を見かけます。
学生さん等の若い方々が
超小型扇風機を首からさげ、
暑さを凌ぐ姿。
熱中症予防の一環か、
ことほどさように猛暑到来。
今やモバイルバッテリーの威力は
ここまで来たかという印象もあり。

昭和気質か、単なる天邪鬼か
同じ扇でも僕は今でも
団扇(うちわ)をこよなく愛用。
その有り難さを
今更ながらに実感する日々です。

風呂上がりのビールのとき、
就寝の前に布団の上などで
何気なく置いてある団扇に手が伸びます。
これが爽やかで気持ち良い。

拙宅やわがオフィスには
粗品で頂戴した団扇が所々にあります。
薄くて場所をとらず軽量、
鞄にも入るし、活動範囲の様々な所に
置いておける。
扇ぐ動作も力む必要なく苦にならない。
団扇や扇子は電気代がかからず
地球に優しい。

酷暑なら熱中症対策として
クーラーはオンにしますが、
強い冷房設定にせず、
団扇を併用します。
団扇で起こした弱冷房の風を
我が身に受ける、
その心地良さは至福です。

いにしえからの利器。
扇いでいると、なぜか
自然の風を感じるのです。

天の風というか。
扇風機のそれとは少し違う優しさ。

電気ではなく人が起こす風。
自分で起こす自分に向かう風。
自分に引き寄せる風。

その風、ありがたい、ありがたい。
今日もツイてる、幸せ、と。


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やばいの語感 [ビズ]

昨日午後6時過ぎ、
東京駅丸の内の地下歩道を
同じブルーのスーツ姿の
6人の若きビジネスパーソンが
急ぎ足で僕を追い抜きて行きました。
彼らは何やらぼそぼそ言ってます。
「まじ、やばい、やばっ」

僕の気を引いたのは、彼らのほぼ全員が
その一言しか発していなかったこと。
会社の行事かクライアントとの約束で、
午後6時までに日比谷あたりまで
行かねばならなかったのでしょう。

彼らの後ろ姿が
「やばい」の残響と共に
遠ざかっていきました。

「やばい」の本来の意味は、
辞典(三省堂)によると、
「まずい状態に落ち入るさま
また、その時に発する語」。
「危ない」から
派生して言葉のようです。

ところでこの「やばい」。
最近、男女を問わず、結構な大人たちが
「やばい」という言葉を使う場面に
出くわしませんか。

例えば、グルメ番組では
タレントさんがお店の料理を一口ふくみ、「これっ、やばっ」と驚嘆し、笑顔に。
少し間を置いて「美味しい過ぎる」
と補足しています。

朝のTV通販番組で
電動マッサージ機を
試しながら女優さんが
「これ、やばっ」と気もち良さそうに。

日本語の乱れを憂う貴兄もいるでしょう。
でも、この「やばい」が、
ひとつのファッションになってる感すら
僕にはあります。

僕が小学生の頃、
(ごめんなさい、半世紀前ですが)、
かじり着くように観ていた
TVアニメ「ルパン三世」で、
第6話のタイトルが
「雨の午後はヤバイぜ」でした。

雨の日にルパンは峰不二子の誘いに乗り、
不穏な騒動に巻き込まれる。
紆余曲折を経て結局、
不二子ちゃんだけが得をして終話。

あの頃の僕らにとって
「やばい」はカッコいい、大人っぽい、
キザな語感の言葉でした。
僕がなんぞは、気取って
「ヤバイ」という言葉を使っていると、
先生や親に叱られたものです。
「下品な言葉を使いなさんな」と。
さしずめ昭和の残響のようです。

令和の「ヤバイ」はどうか。

例えば、会社で、ある企画を
プレゼンテーションした人に、
「先輩、これっ、やばいくらい
素晴らしいです」と言えば、
今や誰も不快感は抱かないでしょう。
(企画の内容の良し悪しは別として)

要は、「やばい」と「天国言葉」の
組み合わせなら、
誤解を生まない可能性が
高まるということ。

天国言葉、幸福ワードである
「しあわせ」「素敵」「ラッキー」
「ハッピー」「うれしい」「楽しい」
「ありがとう」「感謝してます」
「美味しい」「素晴らしい」 
との組み合わせ。

「やばっ、うまっ!」
「やばい、幸せ過ぎる!」
「やばっ、大好き!」
「楽しすぎて、やばい!」

当然にTPOを踏まえた使い方も肝要、
品性が合わないという方もいるかも。
誰に対しても使えるフレーズでは
ないけれど、
気心の知れた仲間たちとの会話で使えば
「やばいほど楽しい」かもですね。

いずれにしても、簡略すれば
「やばい」=「すごすぎる(強調用語)」
ということで。

但し、辞典にもある
「まずい状態に落ち入るさま、
また、その時に発する語」
という意味で使うなら、
それなりの表情をださねば、ですね。

今日もお付き合いくださり、
ありがとうございました!!


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丁寧な仕上げ、床屋さんに脱帽。 [世相・センス]

理美容店、理髪店、散髪店、床屋さん。
色々表現はあるけれど、
誰もが頻度は異なるにしても、
どこかの理美容店に
お世話になっていますよね。

僕は後頭部の髪の尾に
汗がたまるのが気になり、
短髪にしたくて、1ヶ月半に一度、
わが街の床屋さんに、すがります。

昨日も開店の午前9時前に到着。
既にお二人並ばれていて、
オープンとともに
その日3番目の客として
40分の憩いの時間を頂戴しました。

そう、憩いなのです。
肩の力を抜いて、
安心して身を委ねます。
髪の毛をさくっと切るハサミの
鉄音が耳の奥をくすぐって、
たまらなく心地良く、
気づくと眠くなり、
うたた寝している間に
散髪もひげ剃りなども終わってる。
はたと気づくとキレイにさっぱり、
頭も顔も整っているのです。

思えばリスクはありますよね。
顔にクリームを塗り、
カミソリをあてる。
首筋あたりは特にスリルが
あるわけです。
ひとつ間違えれば、即、出血します。

でも、もう10数年通っている地元のお店。
プロの腕前と実績ある佇まいに、
すっかり安心しています。

僕は思うのです。
AIが、ロボットが、
人の仕事を代行する時代。
それが加速しているようです。
だけど、この理美容の仕事を
機械が担うのは無理がありますよね。
人によって頭の形は違うし、
お客さんの求める髪の形や長さ、
髪質も異なるはず。
何より、カミソリあては、リスクがある。
これを蓄積データを活用して、
ロボットがこなすのは
僕には想像がつきません。

本当に貴重で重要なお仕事です。
このプロの技の醍醐味と、
後頭部の髪のさっぱり感、爽快感が
千円とかニ千円で堪能出来る。
ありがたくて、たまりません。

昨日の40分間も至福でした。
理美容師さん、
本当にありがとうございました。

翻って、わが仕事もこうでないと。
お客さまに安心感をお届けする。

自分の仕事、役割があることに
ありったけの感謝の念を込めて、
丁寧に、ひとつずつ、
冷静に仕上げること。
ありがとう!!

今日もお時間を頂戴し、
お付き合いくださり、
ありがとうございます。

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日々、丁寧ないとなみ [世相・センス]

今朝も朧気な夢から覚醒めた。

神聖なる静けさのなかで、
顔を洗い、髭を剃り、
髪を整え、歯を磨き、
鏡の中の自分を見つめる。
そして微笑む。

カップ一杯のぬるま湯で
薬を飲む。
朝食はオフィスにて。
ビジネスカジュアルに着替える。

スマホの充電加減を確認し、
いつもの腕時計をはめて、
気軽に身軽に、よっこらしょっと、
ビジネスリュックを背負う。

ここまでで、かなり嬉しい。

ひとつずつ、日々のアイテムを眺める。

布団、タオルケット、
洗面所、水道水、
シェーバー、
櫛、
歯ブラシ、歯磨き粉、
フェイスタオル、
薬、
マグカップ、
カジュアルスーツ、
スマホ、
腕時計、
リュック。

気がつけばこれだけ沢山のアイテム。
今更ながら、しっかりと見つめる。

その存在ひとつ一つが
ありがたくて、嬉しくて。
大切な、ありがたき我が愛用品。

どこか克己心が沸き上がる。

これで、今日も行ける。

キーケースから鍵を取り出し、いざ。
 
はつらつと大空を仰ぎ
大地を踏みしめ、
思いっきり息を吸い込んで、
僕は駅に向かう。


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丁寧力 [世相・センス]

慌ててドタバタ、
早歩きでキリキリ、
キーボードをバンバン、
ドアをバタン、
机の引出しガチャン、
テーブルにカップをドン、
早口でピーチクパーチク。

ゆとりなく、余裕なく、
隙なく、ハンドルの遊びもなく、
丁寧さのカケラもない人に
人は魅力を感じないし、
一緒に居たいとは思いませんよね。
乱れた波動を撒き散らしています。

かつての僕はそんな奴でした。
今では少し治りましたが、
油断すると元に戻ってしまいます。

物静かで丁寧な所作、
自然で軽やかな身のこなし、
ゆったりした佇まい、
背筋を伸ばし凛とした姿勢、
穏やかで深き低音の声、
ゆっくり心を込めた文字、
頻繁に見せるビッグスマイル。
こんな「すごい人」の、
全てが憧憬です。

なかなか難しくても
こんな「すごい人」になることを
半世紀以上生きてる僕は
まだ諦めていません。
丁寧力のポイント(起点)は、
ビッグスマイルだと思っています。

常々に想起しているのは、
名優山崎努さんの笑顔。
一見、こわもて、
渋い役柄の多い山崎さんですが、
だからこそ、笑ったときの表情が素敵で、人間の大きさや人生の深みを感じます。
このビッグスマイルが
優しく人を包み込むようで。

その笑顔が安心感を醸し、
ふぅ〜とひと息、
丁寧力が発揮できるかと。
ビッグスマイルが呼び起こすのは、
豊かな心、
ビッグスマイルが呼び覚ますのは、
感謝、多謝、深謝。

今日もビッグスマイル→丁寧力を携えて、
ゆったり、心豊かにいきたいですね。

僕は「すごい人」を目指します。

今日も貴方の時間を下さり、
ありがとうございます!!


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感謝力 [世相・センス]

私がお世話になっている
近所の食品スーパーは、
土曜の開店時間である午前8時では
開いている会計レジが2箇所のみ。
早朝なので他の5つのレジは 
稼働していません。

僕はこの時間帯を狙って買い物をします。
空いていて快適である以上に
僕が買う品数が多く、ふたカゴもあるため、
後ろに並ぶ方に迷惑をかけてしまう、
そんな心配がよぎるからです。

この2つのレジは大抵、 
店員さんが固定しており
ベテランの女性です。
このお二人の接客方法や佇まいは
いつも朗らかで穏やか。
レジを打ちながら会計済のかごへ
商品を入れ替え並べる手際や技も
テキパキと整然、お見事。

それ以上に心配りが嬉しいのです。
「ドライアイスはひとつで宜しいですか」
「今日はいつもより、少し遅いのですね」
僕の来店時間の僅か20分の遅れを
把握しているのです。
僕がいつも大量に買うので
お得意様扱いという風でもありません。

支払いを済ませると
僕は必ず言うのでした。
「ありがとうございます」と。
ぼそっとではなく、照れもなく
はっきりと感謝を伝えるのです。

そして、駐車場のある屋上まで
エレベーターで上がり、
クルマに買い物袋を積みながら
僕は清々しい気持ちになりつつ、
考えます。

彼女たちがもし、
無愛想でぶっきらぼうであったら、
僕は彼女らに感謝しないのか?
「店員ならお客さまを神さまだと思い、
笑顔のひとつくらい見せろよ!」
と心の中で憤るのか。
煩悩の塊になるのか。

かつての僕ならそうだったでしょう。
50年以上生きてきて、
ビジネスの世界でも35年、
それはもう、怒ったり落ち込んだり、
不機嫌になったりと、
相当な葛藤があり、
心の置き処を探し続けてきました。

でも流石にもういい歳です。
それなりの落とし処は知っています。

要は自分の思い通りにならないと
すぐ怒る。いちいち反応してしまう。
例えこちらに理があったとしても、
それではいつまでも
成熟した人にはなれません。
なれないどころか、
幸福に手が届かないということです。

いいのです。相手に笑顔がなくても。
僕のためにお会計の仕事をして下さり、
「ありがとう、朝早くからお疲れさま」
なのです。
自分は仕事では常に笑顔を出していこう、
と心に定める。
その背中を押してくださったのは
反面教師として彼女たちです。感謝です。
それで僕の心は平らになり、愉快に。

これまで、洋の東西を問わず、
様々な人生哲学の書も読んできましたが、
僕に一番しっくり来たのは
小林正観さんの本です。
例えば、
「淡々と生きる」(風雲紗)
「で、何が問題なんですか?」(清談社)
「悟りは3秒あればいい」(だいわ文庫)
「この世の悩みがゼロになる」(だいわ文庫)
また亡くなられてから発行された、
特にダイヤモンド社の
「ありがとう」シリーズ。
中でも「ありがとうの奇跡」は
何度も読み返しては
心を立て直してきました。

正観さんは、愚痴や悪口、不平不満を
口にすることを厳禁とし、
「ありがとう」というポジティブ言葉を
繰り返し言うことが最も肝要とします。

人はなんのために生まれてきたのか。
この永遠の謎的な問いへの答えは、
偉人や哲学者の名言も多々ありますが、
僕は感謝を学ぶためだと思っています。
感謝を学び、魂を少しでも磨き、
誰かのために尽くし、
若干でも人として成長するためだと。

どこか堅苦しい話になりましたが
これから「感謝力」のお話を
積み上げて参りたく思っています。
今日はその第一回ということで、
お付き合い下さり、
ありがとうございます。

また次回、宜しいお願いします。

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ペンたちの反乱 [ステーショナリー]

先々週の夕方、職場にいる僕に
妻からメールが届き、
拙宅の僕の机あたりに
何本ものボールペンが散乱していると。

3年前、リモートワークを機に
狭い居間の片隅に設えた書斎コーナー。
そのささやかな我が聖地たる机には
僕の頭上の高さに棚が着いており、
手帳や筆記用具が所狭しと並んでいます。

要は、その棚から、
10本くらいのボールペンを入れた
ペン立てが、落ちたというのです。

机の上から25センチ程の高さの棚にある
ペン立てが落下し、ペンたちは、
机の上や床に、無残な姿で放り出され、
痛々しい姿が発見されたのでした。
妻はびっくり仰天、僕に通報した次第。

では、何故落ちたのか。

当日は窓を開けておらず、
風のせいではないことは確か。
ペン立ては特段歪な形状ではなく、
真っ直ぐに天井を向いて立っていただけ。
そのペン立ての容量は、15本まではOK。

何かの重力や威力、
それとも念がかかったのか。

そんなこと、考えても無駄と思いきや、
ちょっと待てよ、と、僕のなかで
ある思考が走り出したのです。

その日の午前中、職場の仲間たちが
ChatGPTについて議論していました。
ある条件を指定すればAIが文章を
自動で作成してくれるという、
そう、その便利さについてです。

業務効率が上がり、仕事の時短化が進み、
心のゆとりが生まれるという快適さを
同僚は称えていました。
ChatGPTは報道でも毀誉褒貶を纏うし、
自分自身で腹落ちしていなかったので
僕は半信半疑、黙っていました。

このことに、ペンたちが反乱したのでは。
いい歳をして僕は彼ら(ペンたち)の
声を想像したのです。

「あなたたち人間は、
自分で文章を考える力を失うことに
気づかないのですか」

「文章には心が宿るものです。
どんな文章も書き手の気持ちを纏います。今後は機械に頼るのですか。」

「僕たちの出番が激減するということは、
手っ取り早く済ませようという、
文章に対する冒とく、いや、
読み手への非礼ではないですか」

「長年連れ添ってきたペンたちを、
もう使わないからと、
箪笥に仕舞うのですか、
それともリサイクルショップに
売るのですか?
それって、非情ではないですか」

そんなふうに、僕には思えたのです。
当然に現段階でChatGPTを
全否定するものではなく、
何にどう使うか、の一点だと思います。
国や組織単位で様々なルールが
設けられるのでしょう。

一方で、ペンたちの声に
耳を傾けることの出来た、
拙宅の極狹の書斎における
このアクシデントに感謝する次第です。
それでなくても、パソコンや
スマホで文章を作るようになり、
ペンたちの出番はめっきり減りました。
それでもちょっとしたメモ書き、下書き、
当然に大切な人への手紙は
手書きでしたためます。

手書き文字、文体は
人柄を表すとも言います。

僕は亡き父母の文字、文体を
今でもはっきり覚えています。
物凄く美しい文字を書いた父。
達筆だけど読める粋な字の母。
僕の文字などは家族に
どう思われているのか、
特になんの印象もないとなるのか。

ChatGPTやAIの出現により、
より一層、手書き文字の魅力、
その意義や価値、自分で考えるチカラ
といったそれぞれの尊さが
脚光を浴びると思うのです。

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タオルの幸せ [世相・センス]

先日あるバラエティ番組で
女優の松本若菜さんが、
バスタオルの使い方がわからない
とおっしゃっていました。

要は、実家で子どもの頃からずっと
フェイスタオルを使って馴染んでおり、
バスタオルは大きく重いので、
どう使いこなすか、
ロケ先のホテルなどで戸惑うとのこと。

僕は「成る程、それ有りだな」
と思ったのです。
銭湯や昔ながらの旅館の共同浴場で、
僕は、バスタオルは使わず 
フェイスタオルで全身を拭きます。

バスタオルは大きくて、かさばる。
持参しないと困るかと言えば、
そのレベルではないと、
フェイスタオル一枚あれば十分なのです。

ところが、自宅ではバスタオルを使います。
それは何故か。

用意してあるから。
用意してくれている人がいるからです。

当然のように、フェイスタオルも
用意してある。
用意してくれる人がいるのです。

顔を洗った際、
フェイスタオルで顔を包み込む。
そして、ゆっくりと水分を拭き取ると、 
何とも気持ち良いですよね。
思わず「幸せ〜!!」と声が出ます。

改めて考えると
タオルって優しい存在ですよね。
そして用意してくれる人がいる。

ひとり暮らしなら、
愛しい自分のために用意する。
しっかり洗濯して除菌し、
ふんわり仕上げの洗剤も使って。
そして丁寧に綺麗に折りたたみ、
清潔な場所に備えておく。

タオルの佇まい。
その穏やかさ、美しさに
この当たり前の幸せが
どんなに愛おしいか、
実感するのです。

GWに入って、横浜の空は青。
静かで穏やか。
こんな洗濯日和にあって、
思わず、タオルという存在の
素晴らしさ、関わる人の有り難さ、
日常のかけがえのなさに
気づいた次第です。

これも松本若菜さんのおかげ。
そして僕に関わる全ての方々に
ありがとうを捧げます。




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春の癒やし、映画館での。 [CINEMA]

今週木曜、同じ職場で働く仲間が
どこか元気がない様子だったので、
大丈夫?と訊くと
「4月に入り毎日出社し、
慣れてないので疲れたのだと思います」
とのこと。

3月末までは週に2日は
在宅勤務のテレワークでしたが、
入社式の手伝い等もあり、
今月は日々出社することになったと。

「3年前までは週5出社が
当たり前だったのですがね」

四十代の彼女はそう言いました。
その実感はものすごくわかります。
先月は期末、なにかと業務が集中して
お疲れ模様も漂うはず。

僕は余計なことと思いつつ、
「今度の土日は、雨の予報なので
シネコンで午前に1本と午後に1本、
映画でも堪能して、非日常に浸れば」
と拙いアドバイスをしたのでした。

実に陳腐な助言だと浅慮を恥じたのですが、
その実、僕ならそうすると思ったのです。
但し、ビジネス系の作品ではなく、
冒険(アドベンチャー)ものと
ヒューマンストーリーの
計2本をチョイスするでしょう。

仕事の疲れ、思考の疲れを取り除くには
運動したり、旅に出たり、自然に身を委ねるのが最適と思えますが、あいにくの雨。

であれば、映画の世界に入り込み、
全く違う世界を旅するのも一考。
勿論、自宅でのブルーレイや
アマゾン等での鑑賞も良いのですが、
今や大型シネマコンプレックスに行けば、
ゆったりしたラグジュアリーな空間で、
1日に複数の作品を楽しめる時代。

僕は小学校高学年の頃、
街の映画館でよく邦画を
観ていました。
ビデオレンタルもない時代です。

当時の映画館は2本立てが主流。
メインは2時間以内、
サブは90分以内の作品の組み合わせ。
とはいえ、後者もなかなか面白く、
この2本を堪能した後、
夕暮れの商店街を 
物語の余韻から抜け切れず
ぼおっと歩くのが好きでした。


職場の彼女は、シネコンは名案ですね、
と僕に返し、微笑みました。 

その数分後、僕はトイレの鏡に映る自分に
「映画館か。自分に囁いた言葉だな」
と少し疲れた顔をしげしげと見つめました。

さて、この土日は何を観ようかなと。

皆さん、来週のために、良い土日を!!!


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幸福色の上機嫌 [世相・センス]

先週は、下を向いて歩きました。
春雨が花を散らし
路上に積もる桜を惜しむように、
踏まぬように。

年度末の仕切りで何かと忙しく、
不器用さもあってか、
桜色に染まりゆく街に
興じるゆとりもなく。

昨日土曜、日めくりカレンダーは
新年度へと衣を変えました。
これはひとつのきっかけになります。

明日からは、前を向いて歩きます。
過去の悲喜こもごもよりも、
未来への期待と希望を抱いて。
春陽に胸を弾ませるように。

今、心を切り替える好機かもと。
何かのわだかまり、心のザラつきを
大胆に、一気に捨て去り、
心機一転、新しい自分に。
そうするんだと心に定めた。

昨日僕は新調しました。
スーツとワイシャツです。
オールシーズン用のブルーの上下と、
ふわっふわの白、少し大きめのシャツ。
このアイテムに身を包み込み、
しゃきっと背筋を伸ばします。

外見を繕って
中身が変わるわけではないけれど、
まあ、上機嫌でいたいのです。
周囲のためにも自分のためにも。
この春陽のように。

心の中で路上の花びらを拾い集めたら、
北上していく桜前線を見送るように、
僕は今日の空を見上げます。


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懸命に働く人の表情 [MUSIC]


今週、職場の同僚との雑談。
先月彼女はお母さんと一緒に
玉置浩二さんのコンサートに
行って来たと、教えてくれました。
オーケストラの演奏に包まれるなか
玉置さんのボーカルを堪能出来たと。

序曲でクラッシックなメロディが流れ、
一曲目の「ロマン」を生で聴いたとき、
その雄大さ、荘厳さに、
思わず涙が溢れてきたと。
彼女はさり気なく、
隣で聴くお母さんを見ると
やはり泣いていたそうです。

僕が玉置さんのファンで、
特に「ロマン」が大好きだと
彼女は知っていたので、
この話を僕にしたくて
機会を伺っていたと。
ありがたいなぁ、と僕は思うのでした。

音楽のチカラって、すごいですね。

オーケストラの話が出たので、
僕は彼女に、
クラッシックコンサートに行く際の、
僕なりのこだわりを話しました。

それは会場の右手前から3列目くらいの席を取るということ。
音響的にはベストポジションではないのでしょう。でも、その位置からであれば、
オーケストラの方々が懸命に演奏している姿、いや、表情、瞳が観れるのです。
指揮者のコンダクト、楽譜を観ながら
自分の役割を必死で全うする顔、身体の揺れ。それを肉眼で観たいのです。

奏者の方々は、この日の為に練習を重ね、
人によっては緊張で前夜なかなか寝付けなかった方もいるかもしれない。奏者お一人ごと、様々な人生や生活を背負って、この舞台にいる。人生の刻を迎えているのだと。
夢中で働く、没頭して仕事することの意味。

人のチカラって、すごいですね。

説教おじさんの押し付けにならぬよう
気をつけながら
それでもいつの間にか熱く語る僕に
彼女は言いました。

「えっ、本当ですか?
実は玉置さんのそのコンサート、
右手の前から3列目だったんです。
奏者の方々の表情まで覚えています」

びっくりした僕は、
ふたたび、ありがたいなぁ、
を両手で頂きました。


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利他 [世相・センス]

最近、電車の中で率先して
ご高齢者に席を譲っている
若い方々を見かけること多いです。
特に20代位の女性。
老人と呼ばれるには
まだ少し時間がある僕は、
彼女らの立ち居振る舞いに、
自省しつつ、学びを得たと感謝します。

♪「あれこれ仕事も あるくせに
自分のことは後にする
ねたまぬように あせらぬように
飾った世界に流されず
好きな誰かを思いつづける
時代おくれの男になりたい」♫
河島英五「時代遅れ」

阿久悠さんのこの歌詞の威力。
もう押黙るしかない程の言葉力。

僕含め人はとかく自分を優先します。
「自分が、自分が」となりがち。
自分のためではなく、
誰かのために気も心も注ぐ利他の魂が
阿久悠さんのこの詩にはあります。

自分を愛せない人は
人も愛せないし、
自分を大切に出来ない人は
人への優しさも中途半端で、
幸せにはなれないかもしれません。

そのうえで、自己愛は
度合いや節度が大切。
自分のことを想い過ぎるから、
怒りや憎しみ、妬み、恐れという
煩悩を僕らは抱きます。
自分ことばかり考えているから
苦しく、辛く、暗くなってしまう。


「まあ、私のことはいいよ。
そんなことより、
目の前のこの人のために
何か出来ることはないだろうか。」 

こんなふうに、切り替えて
誰かへの今一点に気を注げる人は
強いし、明るく頼もしい。
心を浄化し自分の殻を破っている
まさに大人。
この切り替えこそ、その実、
自分の精神を楽に、明るくする方法。

こういう人はきっと、
頼まれごとを淡々とやって、
風に吹かれているだけで、
幸運を引き寄せると、
僕は思うのです。

「自分のことで、いっぱいいっぱい、
とてもそんな余裕ないよ」
確かにそうかもしれません。

だからこそ、そんなときこそ、
周囲の誰かのためにひと肌脱ぐ気概。
ここが、ブレークスルーポイント、
人生の刻です。

心の手帳に書き込みます。
「この人のために何が出来るだろう」


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多生の縁 [世相・センス]

この一週間の、
ありがたき多生の縁です。


その1
先週水曜の午前7時20分に、
横浜市内の大学病院に到着すると
僕の前に8人並んでいました。
午前8時に入口が開き、
受付や採血等が始まり、
午前9時から診察開始です。

僕の前に並ぶ80歳位であろうご婦人が
振り返り僕に
「今日もまた一段と寒くてねぇ」と
話しかけてこられました。

僕は「そうですねぇ」と
小さな声で答えたのでした。
彼女は白髪で痩身、
ピンクのオーバーを着ていた。

すると彼女はその前に並ぶ
70歳台であろう紳士に語り掛けました。
「あとどれくらいで開くのでしょうねぇ。
私は6時45分に家を出て着ました」。
グレーのジャンパーを着たその御仁は振り向いて「8時より前にいつも開きますよ。
もう少しです」と笑顔で返しました。

そこから、このお二人は会話を弾ませていた。どこから来ているのか、今持っているバックは重宝しているとか、息子夫婦が面倒をみてくれて等など、早朝の列の前後にたまさか居合わせた間柄とは思えない程仲睦まじく見えた。

彼の予告通り、入口は7時50分に開き、一人ひとりが1メートルの距離を置いて、入っていきます。このお二人は密接して会話をしながら進んでいます。入口の病院事務の方が手の消毒と検温を促すため、このお二人に「お連れ様ですか」と訊くと、紳士は違いますと朗らかに答え、ご婦人は歩くペースを落とした。待ち合いのソファーでも静かに穏やかにお二人は話していました。

この紳士の柔らかな物腰と佇まいに僕は感服したのでした。

その2
昨日の土曜、午前7時55分に僕は
いつもの通り食品スーパーの屋上駐車場に到着。既に70歳位であろうご婦人が到着していました。僕と彼女は二人して、屋上からの入り口前で、開店時間の8時をただ無言で待っていました。

8時になり、ふっくらとして40代位の警備員の男性が来られて、元気な声で「大変お待たせいたしました。今開けますからね」と言って、鍵を開けてくれました。そして彼は機敏にエレベーターの前まで走り、下方向のボタンを押すと、「今、エレベーターが来ますのでね」と明るく声かけをしてくれました。エレベーターが到着すると彼は自ら乗り込んで「何階ですか?」と僕らに訊き、該当階のボタンを押しました。そして「私は失礼します。お待ち下さり、ありがとうございました」と。

ご婦人と僕は思わずに「ありがとうございます!!」と声を合わせていました。
その言葉の余韻のなか、エレベーターは、二人だけで動き出しました。
すると彼女は「あんなに丁寧に言って貰えたら、本当に嬉しいですよね。なんか良い一日になりそうですね」と言われたのです。

僕も「本当ですね。ありがたいですね」と返していました。

彼女は2階でおり、1階へ向かう僕に「それではお先に失礼しますね。ごめんなさい」といって降りていきます。狭い空間に一人残った僕は、その背中に「行ってらっしゃい!」と声をかけました。

僕の暮らす街は、
ご高齢の方々が大勢います。
その言葉や佇まいから
教わることは多々あります。
年配の方々だけではなく
全ての方々からも。
謙虚に穏やかに、利他の気持ち。
ありがたいなぁと思います。

刻々と時はゆきます。
やがて僕も、
そういう高齢者になりたいです。
春はもう近くまで来ていますね。

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常にツイてる [BOOK]

今週のツイてる話。

その1
秋田の銘酒「雪の茅舎」は僕の大好物。
横浜市内の食品スーパーには置いていなくて、会社の帰路か休日に、横浜高島屋で買っています。

今日の午前9時半過ぎ。
近所のスーパーが10時に開くのを待つ間、ふらりと寄ったその近くの成城石井に…、
あるではないですか、
我が愛しの「雪の茅舎」が!!

なんてツイてるんだろう!❢
僕は大感激して、わが幸運に感謝しました。


その2
今週水曜の在宅勤務時のこと。
会社の上層部の人から電話あり、
ある仕事の依頼が入りました。
彼はこう付け加えました。
「君のスケジューラーを見ていると
今日は在宅勤務として書いてないね。
これ、さぼりの日というですか?」

僕は返しました
「いえいえ、今日は午前5時台から
仕事を開始し、あちこちにメールで
お願い事などをしていました。」

「であるなら、それを入力すべきだ」

その刹那、僕はカチンときましたが、
深呼吸をした後、とてつもない感謝が
湧いてきたのです。

僕のスケジューラーをみて
「こいつ、一体、自宅で何やっているのだろう」と思う人は他にも存在するかもしれません。

別に人からどう思われようと職務を全うしていれば良いのですが、それは僕の自己満足。
スケジューラーに、開示出来るレベルのタスク内容やタイトルを記載したほうが、僕の部下たちや社内の他の人たちからの、僕の仕事への理解が広がります。また、僕自身も在宅時の真剣さや集中力が増すので、良いことずくし。

この上層部の一言、僕はなんとツイてるのでしょう。僕は昨日、彼に「ありがとうございました」と伝えました。

その3
日頃殆ど接点のない、社内の50歳の人から昨日、退職の挨拶メールが届きました。

「思えば当社での22年は、苦しく辛いことも多々あったと思うのですが、今、振り返ると、困難を乗り越えた後の喜びしか思い出せません。本当に人に恵まれた歳月でした。50歳になったのを機に、全く違う分野の仕事をしていきます。」

辛く、苦しく、しんどいこともあるけど、必ず、その後に喜びや成長がある。
苦と楽、悲と喜はセットになっている、
いわば「ニコイチ」。

彼とは数年前、ほんの少しだけ会話をした程度の間柄。でもこの会社でのお別れに、
こんな素敵なメールを僕にくれたのです。なんてカッコ良いのでしょう。そしてこれを受けた僕はなんてツイてるのでしょう。

僕らは常にツイてるのだと思います。
日頃身の周りの幸せに気付くかどうかですよね。

様々な哲学書や禅の本、自己啓発本に、「ツイてる」「ありがとう」などのポジティブワードを口癖にすれば幸運が来て、愚痴や悪口などのネガティブワードが多くなれば、悪運を引き寄せてしまうということが書いてありますよね。

これは有りです。僕は本当にそうだと思います。つくづく実体験で身に沁みています。だから、その教えを授けてくださった本に、著者に、深謝しています。そういう本との出会いも、ものすごくツイています。


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本買えば、雪の暮 [BOOK]

去年の暮れからこの2ヶ月で
本を15冊買っていることに
先程気が付きました。
普段は月に5冊程度です。

仕事のため、思考の整理のため、
気づくとネットで、
あるいは書店で衝動買いしました。

この15冊のうち、残念なことに、
小説は1冊もなし。
10冊を読了しましたが、
読み返したくてたまらないほど、
僕にとっての良書ばかりです。
書棚のポジション争いに苦慮しつつ
どこか楽しいのです。

電子書籍の登場から久しいですが
僕は紙に焼いた活字が読みたいのです。

電子書棚の魅力を否定しません。
素早く的確に情報を伝えられる
デジタルの効果はてきめん。
文明の利器です。

そのうえで、僕は、
活字を束ねた本を生で読みたいのです。
そう、生で。
紙の手触りも嬉しく、
ページに指が触れた瞬間、
脳が動き出す感覚があります。
なんか、人間ぽいじゃないですか。

そして、拙宅の書棚に所狭しと
好きな本が並ぶのを眺めるのが、
たまらなく好きです。
暖かな部屋で大好きな本に囲まれ
ひとり静かに本を読む至福。

こんな寒い季節でも
週に一度は必ず書店に行きます。
そして何ヶ月かに一度は
何冊かをまとめ買いし、
帰路は書店の紙袋を手に
どこか心躍る足取りになっています。

「本買へば表紙が匂ふ雪の暮」大野林火

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最強の言葉〜手帳の佇まい [ステーショナリー]

先日、ある新聞の編集長が
僕との雑談のなかで、
「私達は経験上、知ってるよね。
何とかなることを」と言った。
僕より少し上の60歳である彼女は
自らを鼓舞しているようでもあった。

どんな話の流れだったかは覚えていない。
世間話、僕らの世代のしがらみ、
そんな内容だったと思う。

彼女の言う通りなのだ。
半世紀以上生きてきて、 
それなりの修羅場があった。 
それとて、自分の解釈なのだが、
しんどい思いがあったわけで、
その時々、何とか食らいついて
自分なりに出来ることを尽くして、
時を過ごした。時を追いかけた。
そして今がある。

勿論、もっと出来たかもしれない。
真面目一辺倒を貫けたわけではない。
手抜きもあったし、人のせいにもした。
でも、常識の範囲で、何とか生きてきた。
そして、何とかなってきた。

「どうにでもなる」「どうにかなる」
と人は言う。「なるようになる」
「なるようにしかならない」とも。

そのうえで、僕は自堕落ばかりでもなく、
35年のビジネス人生を
沢山の方々の力をお借りして、
不器用ながら、
何とかここまでやってきた。

この手帳、knoxbrainがそれを知っている。
もう30年の付き合いだから。
この皺のひとつひとつ、
そして光沢の輝きが
我が人生の軌跡を浮き彫りにする。

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僕はその編集長に返した。
「そうですね。
僕らは、困難を乗り越えた後の、
安堵感や清々しさも知ってる。」
彼女は大きく頷きながら
「何でも楽しまなきゃ、損だって」。
いつの間にか僕は慰められていた。
僕は愚痴でもこぼしていたのか。

いずれにしても、良き言葉を拝受した。
これは天の言葉かもしれない。
そしてこの手帳との出会いも
天啓かもしれない。僕を支えてくれた。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。

今回もお読み下さり、
ありがとうございます。
これからも「何とかしていきます!!」

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