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黒い輪の開いた先へ [世相・センス]

「えっーと、右」
「上」
「下ですかね」
「上に見えますが」
「うーん、右かな」

眼鏡を新調しに昨日、眼鏡店兼眼科へ。
視力検査はいつもなぜか緊張する。
左右と上下、黒い輪の開いている方向を
見えるものは見える、
見えないものは見えないのであって
嘘や勘では答えない。
それで良いはずだ。緊張はおかしい。

でも下の段へ、黒い輪が小さくなるにつれ、下とか右とか、はっきりくっきり見えているわけではないのに、何となく「下」にみえれば、「下かな」「下ですかね」と答えてしまう。また、それが当たっていたようで、どんどん小さな輪のほうへ、テンポ良くスピーディーに進んでいく。

面白いもので、こういう時、人の性格は出る。左かなと感じたら「左に」と言えば良い。「もしかしたら」とか「おそらく」という趣旨の余計なことは言わない方も多いだろう。僕はなかなかそうは出来ない。

視力の検査技師さんは手慣れたもので、顧客の答えに応じて、判断が早く、迷っている気配がない。色々なレンズをケースからつまみ上げては、検査用の眼鏡にはめ込んでいく手際もプロフェッショナルだ。

視力の検査技師資格は、取得の難易度がかなり高いときくから、スピーディーでも雑な印象はなく、信頼感を覚えてしまうものだ。

僕は、視力検査マニュアルなるものを読んだことがないので判然としないが、顧客が不安げに「右かな」とか「左のような気がします」と言ったとき、技師さんたちは心理はどうなのだろうか。

「このお客さんの答えは、自信なさげで危うい言い方だけど、当たっているということは、見えていると判断するので、気にせずどんどん進めよう!!」
「いちいち顧客の迷う心理に応じていたら、先に進めない。言葉尻にとらわれず、掟の通り、迷わず進めだ!!」

こんなところだろうか。
というか、そうであるとしか思えない。
そうだ、きっと「当たっている」ということは、「見えている」ということなのだ。

余談だが、今回僕は、コンタクトレンズ着用時の老眼鏡が見えにくくなってきたので、新調しに赴いた。今回の視力検査の結果を担当の技師さん言った。

「お客さまは経年で視力が回復しています。よって、老眼鏡を変えるのではなく、コンタクトレンズの度を弱めることをお勧めしますがどうでしょう」

この歳で視力が回復するなどの知識は持ち合わせていなく、些かびっくりした僕は、
貫禄のプロの意見に従う以外の選択肢はない。

プロフェッショナルな検査技師さんを信じ、そして、様々なシンキングタイムの場を下さり、「ありがとう」の言葉を彼女に捧げた。それが僕にとっての黒い輪の開いた先。いずれにしてもしばらく、我が視力の様子をじっくり見ていこうと、眼鏡店を跡にした。


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