常にツイてる [BOOK]
本買えば、雪の暮 [BOOK]
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他力の風に吹かれて [BOOK]
ちょっとMyself [BOOK]
自分磨きは永遠のテーマ [BOOK]
多摩大学名誉教授の田坂広志氏は著書
「なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか」
(PHP新書)の中で、
「上司は部下を知るのに3年かかる。
部下は上司を知るのに3日で足りる」
を掲げ、マネジメントとは、
「心の修行」「人間学の王道」としている。
例えば、若手の部下の発言に
単に違和感を覚え腹を立てるのではなく、
彼・彼女の立場や目線で、その世界を捉える。
そして、彼らの解釈の背景を考える。
単に部下の言動に失望し、上司として
「高みに立って、人を裁く」のではなく、
自分の中にも、同様の要素があることに
気付くべきと同氏は論ずる。
部下は縁あって、一緒に仕事をする仲間。
互いに成長し合って良いのだと。
ビジネスの世界で沢山の苦労を
重ねてこられた同氏こその説得力が心に響く。
たとえ不器用で、もがきながらも、
懸命に自分の見解を示し、
成長しようと心掛けている上司の姿に、
部下は心動かし、この人について行こうと思う。
それこそが格好良い。というより素敵だ。
独の哲学者ショーペンハウアーは著書
「幸福について」(光文社古典新訳文庫)で、
人間の運命における差異の基礎を
として、①が最も尊く、かけがえのないこと、
真の幸福に帰結するとの趣旨を論じている。
確かに、①だけは無限に磨きあげられ、
人間力や人徳、凛々しさや心意気
という言葉にあるように最も頼もしく美しい。
②はある程度は必要だが、
それだけでは物欲主義で、人間味がなく、空しい。
③は最も移ろいやすく、儚いもの。
名声は忽ち過去となり、誰もが忘れ、
人の評価ほど気まぐれなものはなく、
その人の価値観や気分に
振り回される人生で良いとは思えない。
① は、自分の内面を磨くものであり、
時間がかかるどころか、永遠のテーマだ。
「成長」に年齢は関係ない。
だからこそ、それを追い続けた人生に、
自分だけの価値があり、生き切った実感があろう。
田坂氏のマネジメント論と重なる。
若手のうちはガムシャラに、
何事にも当たって砕けろ、と言う。
確かに、ある程度は
「若さゆえ」「若気の至り」で許されることも。
でも、心のベクトルの誤りを
長年放っておいたために、
気付いたら中堅になっていて、心の癖、思い癖で、
ベクトル修正が出来なくなる人もいる。
若手のうちが大切だと僕は思う。
経験者はわかる、自戒と自省を込めて。
なかなか、直せません。
すみません。
でも自分の「成長」、諦めていません。
梯子の段の語り部たちへ〜書棚から2 [BOOK]
見栄と本音と〜書棚から1 [BOOK]
経営トップの方がこれまで
どんな本を読んできたかを紹介する
主要新聞等の常設のコーナーがある。
その御仁たちは、
彼らが長たる組織の事業特性に
合わせた本を選んでいるようにみえる。
というか、そうなのだろう。
例えば、生保会社の社長なら
生命保険の歴史とか人命に関わる本など。
僕は思う。
こうした偉大な方々の自宅の書棚には、
実際、どんな本が並んでいるのかと。
心から好きな本ってなんだろうかと。
対外的に紹介出来る選書基準は
以下のようなものではないかと考える。
①自分の携わる組織や業界に関する本
②若手に役立つだろうと思う本
③洋書や古典等、少し知的に映る本
④シリーズもの、大作など要根気の本
⑤さすが!と思わせる本
⑥ちょっと意外!と思わせる本
選んだ本によって人格や知識レベルが
測られてしまう懸念もあるのだろう。
ガッカリさせたくないという思いも。
それが悪いとは思わない。
ある意味、仕方ないこと。
本来、読書は自分のためのもの。
人に見せる為のものではない。
好きな本を気ままに、
自分に必要な本を真剣に
自分なりに読めば良いはず。
もう10年以上前に、会社のイントラに
役員たちのお気に入りの本を
紹介することになり、
僕はある役員(上司)に何を選ぶのか
訊いたところ、彼はこう言った
「池波正太郎とかじゃ駄目なんだろう?」
まだ司馬遼太郎なら大丈夫か、との意見。
彼は結局、梅原猛氏の著作を選んだ。
本当は彼が無類の北方謙三「水滸伝」好き
だと僕は知っている。
立場が上になるとつらいと拝察する。
自分の好みを晒せば良いだけではない。
その点、僕なんぞは、
北方謙三も山本周五郎も葉室麟も
原田マハも東野圭吾も、
大好きと大声で言える。
漫画は読みません。空想を楽しみたく。
読み尽くす、活字を堪能するということ。 [BOOK]
途方もなく果てしなく〜舞台袖から [BOOK]
北京五輪で銀盤や白銀を舞う
アスリートの方々には頭が下がる。
試合当日の精神的な重圧と
本番直前の緊張感は、
白い霧の向こう、
途方もなく、果てしない。
先日番組「ボクらの時代」で、
俳優小日向文世さんは、
ドラマ(映像)と違って舞台(演劇)は、
やり直しがきかず、緊張すると仰った。
長年の経験があっても
出番前の緊張感、その重さが
辛いときがあると。
それを受け、やはり舞台演劇出身の
角野卓造さんは、それがあるから
やり終えたとき、感動があると添えた。
僕らビジネスパーソンも
何か大きなプレゼンや
初めての経験には緊張する。
だから大舞台に臨む役者さんの心境、
平常心の保ち方には大変興味があり、
僕らの日常の緊張解しに勉強になる。
名優山崎努さんは著書「俳優ノート」で、
一人芝居「ダミアン神父」のときの、
初演幕開き直前の極度の緊張感と、
その打開策を紡ぐ。
「開演の1分前、
突然猛烈な恐怖に襲われた。
これから2時間、自分一人で芝居を
背負わなければならない。
……足ががくがくする。
最初のセリフが思いだせない。
もうだめだ、公演は中止だ。
パニック。
十秒前、突然閃いた。
これは百年前に死んだ
ダミアン神父の話なのだ。
ダミアンが喋るのだ。
お喋りのダミアンが
まだ喋り足りなくて
今ここに降りてきて
喋りたがっているのだ。
よし、おまえに身体を貸そう。
勝手に何でも喋ってくれ。
パニックはぴたりと治まった。
照明が入り、
自分はウキウキした気分で
舞台に出た」
先月NHKの番組で美輪明宏さんは、
舞台での出番直前に
緊張しないのかと訊かれ、
全くそれはないと答えていた。
何故なら、舞台に立っているのは
自分ではなく、演じる役柄の人だからと。
この達観。ひとつの境地。
きっと大抵の役者さんは
どんなに稽古を積んでも
舞台袖では大変緊張するものだと思う。
勝手な推察だが、
それがあるからこそ、
最高の芝居が出来る人もいるのだろう。
日常、僕らが緊張するのは、
うまく見せたい、格好良く思われたい、
評価されたい、恥をかきたくない、
という思いがあるから。
であれば、
自分は、もともと大した者ではないから
淡々とこなして帰って来よう、
という肩の力を抜いた構えで、
自分に与えられた役柄、
○○部の係長、課長を演じるしかない。
もう一人の自分への温かな眼差し。
どこかの席から静かに応援して。
山崎努さんは同著でこう語る。
「演技をすること、芝居を作ることは
自分を知るための探索の旅をすること」
「役を生きることで、
自分という始末に負えない化けものの
正体を、その一部を発見すること。」
「効果を狙って安心するのではなく、
勇気を持って危険な冒険の旅に
出て行かなくてはならない」
生きていくことと同じ。
この含蓄。
途方もなく、果てしない。