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部屋のモノ=記憶のスイッチ [BOOK]

「人は裸で生まれてきて、
ゴミに囲まれて死んでいく。
そういうものではないでしょうか。」

部屋の片付けの話に始まり
歴史感、人間の本質に迫る随筆、
五木寛之氏の「捨てない生きかた」
(マガジンハウス新書)を読んだ。

本書は、あと片付けや断捨離を
決して否定するものではない。

「取るに足らない小さなモノであっても
じつはそのモノには、
まず自分のところにやってきた
という物語、そして自分の身のまわりに
何十年となくあるという物語が
必ずあることを忘れたくないのです。」

モノには記憶(歴史)や想いが宿る。
そんな大切なモノに囲まれて
余生を過ごすもの良いもの。
部屋を構成するモノは、
記憶を蘇らせるスイッチであると説く。

「執着はよくないという話も聞きますが、  モノに執着し、ヒトに執着し、
イノチに執着するのが
人間というものです」

但し、話はそこに留まるのではなく、
物を残すことの本質的な理由、
そして人生の指針にまで広がる。

そのほこ先は、著者の部屋から
金沢など日本の名所へと飛び出し
そして欧州に至るや、
時代を遡り歴史の深みへと潜っていく。

そして、エピローグ(あとがき)で
引き潮のように、
もとの自分の部屋、つまりは
ガラクタだらけの自分の城に戻る。

あの日あのとき、
ここで誰かが生きていた軌跡と息吹。
そのよすが語り継がれず、
依代(よりしろ)が消えていくことは
その物語がなくなるということ。

刻々と、町から時代の足跡が消えていく。
町名が変わり、立札、看板、建造物が
どんどん変わり、
そして方言までもなり、
その結果、町に奥行きがなくなる。
この国の原型が、原風景が遠ざかる。

フィレンツェ、ローマ、パリ、
そしてバルセロナには今でも
人類の遺産がしっかり佇んでいる。
一方、日本はどうか。
勿論、僅かにはあれど、
要はどれだけ記憶の実感を
重んじているかと著者は綴る。

そして戦争の記憶に辿る。
例えば、満州国の行く末、
「乙女の碑」といった、
決して目をそむけてはならない歴史。

織田信長を討った明智光秀が
山崎の戦いで羽柴秀吉に
破れたことは語られるが、
その合戦に駆り出された民衆に
スポットが当たることはないと
著者は指摘する。

まさに至言。
語り継がれる歴史だけが
本当なのではない。
歴史の影に潜んでいる事実。
どんな存在であれ僕も
いずれその中に入る。

だから僕らは身近な人に
自分が生きた時代を語り継ぐことが、
この国の本当を伝えることが、
使命なんだと思う。

やがて語り部がいなくなれば
残るのはモノであると著者は着地する。

「人は裸で生まれてきて、
ゴミに囲まれて死んでいく。
そういうものではないでしょうか。」

見えない明日へ向かう背中を
そっと押してくれるのは
それまで何とか生きてきた自分自身。
それこそが記憶なのだと。

人は執着から完全に
解き放たれることは出来ない。
ある程度の執着を受け入れるのも
ひとつの知恵ある生き方。
そして捨てずに部屋にあるモノは、
記憶を呼び戻すスイッチ。
勇気をいざなう寄る辺。

僕の中で、あと片付けの概念が
少し変わりつつある。


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孤高と孤独のはざま [BOOK]

周囲からの自分への評価や評判は
気になるものだろう。

例えば、職場で上司や部下からの評価。
なかには、それを気にして叱り
注意することも出来ない上司がいたり。
日々の暮らしでも近所の目が
気になって八方美人になってしまう等。

いにしえから哲学者、偉人は言った。
他人が自分の批判をしたり、
悪口陰口を言いふらしたりしても
気にする必要は全くない。
なぜならそれはそれを言う人自身の問題、
性格的な課題だからだと。

また、こうも説く。
他人からの評価は
批判(悪い評価)5割、
賞賛(良い評価)5割が丁度良い
と。
後者ばかりでは、うぬぼれるし、
その実、偽善的。
自分なりに偽りなく真剣に生きていれば、
「賛否」半々くらいに落ち着くはずと。

どこに「幸福の価値」を置くか
人からの評価評判は
さほど気にならないと僕は思っている。

ではこの御仁はどうだろう。

選手として3度の三冠王、
8年間の監督時代は4回のリーグ制覇、
1回の日本一、全期間Aクラス入り
という華々しい、いや孤高の実績のある…
落合博満氏その人である。

今をときめく大リーダー大谷選手や、
太陽のように元気な新庄日ハム新監督、
この度文化勲章を授与された長嶋さん
と比べ、落合氏は、「賛否」で言うなら
否のほうが俄然多かった気がする。

昨夜、「嫌われた監督〜
落合博満は中日をどう変えたか」
(鈴木忠平、文芸春秋)
を読了。

本書は一人のスポーツ紙の記者が
落合中日監督の8年間を追った
ドキュメンタリーだが、
小説を読んでいる迫力、臨場感があり、
登場人物たちの心の熱さに、圧倒された。
何度も胸が熱くなり、
何年かぶりに読書で落涙した。

落合氏の発言は奇天烈で短く、
どこか説明不足。
その佇まいは誰とも群れず一匹狼、
誰も追いつけない卓越した技術でのみ
生き抜いてきた人。

特に監督時代に、
日本シリーズ史上初の完全試合が
かかった山井投手の9回での交代劇、
リーグ優勝目前での本人の解任劇。
さしずめ「落合劇場」、
この人には「劇場」がよく似合う。

一方で、リーダーとしての落合監督は、
選手を怒鳴りつけることも、感情的に
ツメツメすることもなかったという。
さりとて、褒めたり励ますことも、
具体的な指導伝授も殆どなかった。

但し、教えを乞う選手には
「一言」だけぽつりとヒントを言い、
「解説」はしない。
選手に考えさせるのだ。
考えないと自分のものにならないからだ。

要はプロとして
仕事をしてくれるかどうか。
役割を果たす技術を持っているかどうかを
卓越した観察眼で選手の課題を射ぬくのだ。
即戦力にのみ期待し、
若手を時間をかけ育てるスタンスなし。
球団との契約内容のみ厳守し、
それがプロの野球の世界だとした。

選手と飲みに行ったり、
個別に群れたりは一切なし。
感情的な繋がりを持たず
仕事上のみの関係。
だから選手の起用に
好き嫌いは関係なく、
勝つための機能として
必要かどうかのみ。
だから選手に怪我や故障を
未然防止する様、厳重に言い続けた。
その一例が
ヘッドスライディングの禁止だ。

僕らビジネスの世界で、
同様の主義を遂行したら、
孤立し、いや、孤独になる。
心理的安全性」が求められる昨今、
あのリーダーは近寄り難く
相談しにくい、となるだろう。
現代のリーダー論で重きを置くのは
「部下に気を配れ」極論としては
部下をお客さまと思え」だ。

孤高は良いが孤独は駄目と偉人はいう。
落合氏はその才能と生き様ゆえに
孤高であり孤独であった。

かくして言葉は刻まれる。

「別に嫌われたっていいさ」
「心は技術で補える。
心が弱いのは、技術が足りないからだ」
「球団のため、監督のため、
そんなことのために野球をやるな。
自分のために野球をやれ。
勝敗の責任は俺が取る。
お前らは自分の仕事の責任をとれ」
「俺が本当に評価されるのは…、
俺が死んでからなんだろうな」

孤高と孤独の男の生き様が滲み出る。

あとがきに、本書発行の狙いがある。
「巨大組織や統治者たちを覆っていた
メッキが次々にはがれていく」なかで
「偽善でも偽悪でもなく
組織の枠からはみ出したリーダー像」
描きたかったという。

僕は思う。落合氏が
人生で最大の「幸福の価値」を置くのが
家族だから、彼は8年間の監督時代、
初志貫徹、スタイルを変えなかったと。

著者が述べているように、
落合氏をどう評価するのかは自由。
著者は落合評を明言していない。
本書の行間が落合愛で溢れていることは
わけて落合ファンである僕には
沁み入る程によく判る。

人がその人をどう評価しようが
その人の自由である。
そして人の評価に正解はない。

でも僕が感じるのは
リーダーとは孤独なもの。
自分自身がある程度の経験と苦労をし、
ある程度の視座を持ったうえで
あるリーダーを評価するなら、
それは正論である可能性が高い

ということ。
そして、僕らビジネスの世界でも
マネジメント手法として、
落合流の観察眼を所々で取り入れたら、
部下の育成が大きく前進すること。

最後に、我が生涯のベスト5に入る
本書「嫌われた監督」の読後感として
吉川英治作「宮本武蔵」8巻の
最終節を掲げたい。

「波騒は世の常である。
波にまかせて泳ぎ上手に 
雑魚は歌い、雑魚はおどる。
けれど誰か知ろう。
百尺下の水の心を
水のふかさを。」

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熱々のココアでの奥義 [BOOK]

あなたが喫茶店の店員さんで、
父親と来店している幼児のお客さまに
熱々のココアを運ぶとき、
なんとお声かけして、テーブルに置くか。

「あちゅいですよ〜、ココアでしゅ」
「こちらココアです。ごゆっくりどうぞ」
「はい、お待たせしました。ココアです」
「ホットココアでございます。
 お熱いので、お気をつけてください」

勿論、正解はひとつではなく、
いやむしろ正解はないのだが、
店員として職業意識、
人としての気遣い、人柄は滲み出る。

ところで、いい歳をして恋愛小説など
読むべからず、と言われても、
ジャンルを問わず面白いものは読むべし。

「木曜にはココアを」
(青山美智子著、宝島社文庫)は、
静かな住宅街の川沿いにある
喫茶店「マーブル・カフェ」で始まる。

20代前半の若きマスターと、
毎週木曜の午後にこのお店で
手紙を書いている女性との、
なんとも堪らない間合い、気の発し方、
心の交流が良い。

俺にもこんなときがあったなぁと
恋の季節、ときめきの頃を思い出す。

本作の素晴らしさは、
全12章の各章で主役(語り手)が変わり、
その主役たちの関係性を、
リレー形式でつないでいること。
見事に仕込んだ伏線が、
珈琲カッブの熱が手に広がるように
じわりと伝わる。

また、ターコイズブルーやオレンジ、
といった色彩を各章のコンセプトにし、
読者に心地よい映像美を供していること。
 
そして、登場人物の心の襞を
奥深く描写している巧みさ。
その筆致は、喫茶店という
仕事の奥義にまでに踏み込む。

「マーブル・カフェ」の若きマスターが、
幼いお客さまのテーブルに、
熱々のココアを置くときの言葉を
是非お読み頂きたく。


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忘れる力、心の強さ [BOOK]

勝負に負けても、
それを反省し次に繋げ、
決して引きずらない。
敗北や失敗を「忘れる」能力。

人生経験豊かな元名経営者(82)と、
勢いに乗る若き勝負師(19)。
63歳差の友人同士の思考論を読んだ。

伊藤忠商事の元経営トップで
中国大使も勤めた丹羽宇一郎さんと
将棋三冠の藤井聡太さんの対談集
「考えて、考えて、考える」(講談社)。

藤井さんは、負けを引きずらない。
その夜はたっぷり(8時間近く)寝て、
気持ちを切り替え、翌朝反省するという。

要はその日の感情ではなく、
冷静になった翌日の理性で考え、
肥やしにして、敗北感を手放していく。

この「忘れる力」こそが
快進撃を続けられる秘訣なのだろう。

悔しさやこだわりを引きずらないで
心の強さを養うことは
僕らの仕事や私生活でも大切。

きっと悔しさを無理に
忘れようとするのではなく、
心静かに、引き受けているのだと思う。
だから忘れ、捨てられる。

そしてまた、勝ったことも忘れる。
ときは移ろひ、全て、いにしえに。
過去の栄光で飯は食えぬ。
大切なのは次に繋げる今。
今このとき、どう生きるか。
そんなことを本書で
お二人から教わった。


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友への選書 [BOOK]

緊急事態宣言下での入院になるのか…。
尚更、彼の奥さんやお子さんは
殆どお見舞いに行けないな。

僕より10歳若い、40代半ばこ彼が8月に入院し、
手術を受けることになったことを、
6月末、本人からの直接の電話で知った。

彼とはもう10年以上の付き合いになる。
別の会社の幹部。そんな多忙の彼が珍しく、
メールではなく電話で、かなり不安げに
入院と手術の予定を知らせてきたこと、
彼にとって人生初の入院・手術であること。

そして、彼は僕の数少ない親友であること、
東京のど真ん中で日本酒を飲みながら
プライベートな諸々を語り明かした夜のこと、
彼は僕の葬式には是非とも
参列してほして存在であること…。

そんな数々の想いが錯綜し、
少しでも励ましになればと、
読書家の彼におこがましくも
何冊かの本を送ることにした。

選書にあたり、
しげしげと拙宅の書棚を眺める。
入院中の方には、どんな本が良いのだろう。
同じ姿勢で長時間読むのは身体に毒だから
長編小説は違うな、
気が滅入るだろうから
シリアスなものも駄目だな、
ましてやビジネス関連など、
もってのほかだな、等々、思案していく。

僕は半世紀以上生きているが、
入院経験がない。
わが両親は長い闘病の末に他界したので、
病棟へのお見舞いに何度も通った。
僕が持ち合わせているのは、
その程度の想像力である。

愛読家の彼であっても、
好みはあるだろう。
そして僕の価値観を押し付けるのも、
拙いが流儀に反する。

結果、以下の5冊の文庫を選び、
手紙を添え、今週、彼に送った。

1. 「ふっと心がかるくなる禅の言葉」
(永井政之監修、ナガオカ文庫)
2.「おやすみ、東京」
(吉田篤弘著、ハルキ文庫)
3.「あなたは、誰かの大切な人」
 (原田マハ著、講談社文庫)
4.「花や散るらん」
(葉室麟著、文春文庫)
5.「自省録」
(マルクス・アウレリウス・アントニウス著、
岩波文庫)

昨日、受け取った彼から電話があった。
「ありがとう。なんか、入院前に、
5冊とも読みきってしまいそう」
なんとも彼らしい。
この様子なら、大丈夫だと踏んだ。


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インドカリーと噛みしめる男女の機微 [BOOK]

毎週土曜に食品スーパーで買う定番に、 
レトルトの「新宿中村屋 インドカリー」と 
「金沢カレー チャンピオンカレー」がある。
 永年の安心感と安定感があるブランド。 

ところで、新宿中村屋さんの創業者、 
相馬黒光さんを主人公にした小説、 
葉室麟氏の「蝶のゆくえ」(集英社文庫)を 
今日読了した。 

と言っても本書は 
中村屋創設を描いたものではなく、 
江戸末期から明治にかけての 
文豪や芸術家たちの男女の情愛、
その愛憎と愛惜を 
明治女学校の女学生であった
黒光(星りょう)の視点を通じて
描いたもの。 

登場人物はさしずめオールスターキャスト。
島崎藤村、国木田独歩、北村透谷、
樋口一葉、そして勝海舟。 
そして中村屋が美術家や文学者の 
出入りするサロンとなっていたことから 
縁を結ぶ荻原碌山、その友人の高村光太郎も登場。 

物語を通じて、当時の詩歌、小説、彫刻
といった芸術の完成する時代背景と、 
男女の恋愛、情愛を巧みに絡ませて描く。 

主人公の星りょうは、明治女学校等で 
垣間見た男女の複雑な群像を反面教師とし 
男女の仲では堅実な、頑なな生き方を選ぶ。
 
そして時代を切り拓く逞しさがあり、 
夫、愛蔵と共に新宿の中村屋を引き継ぐ。 

ところで、新宿中村屋の「インドカリー」。
大正になって、りょうの長女の俊子と
結婚したインド人革命家のボースの意見で 
メニューに加えたという。 

「俊子が亡くなっても 
ボースと中村屋の関係は切れなかった。 
中村屋はボースの提案により喫茶部で
「インドカリー」を売り出した。 
名物になった「インドカリー」は 
恋と革命の味、などと言われた。」 

僕らが生まれる前の当時に思いを馳せる。 
江戸時代から現代へと移りゆくとき、 
我が国の未来への礎を支えた人たちがいた。

 彼らも人間、恋に陥る。 
ゆえもなく、結ばれる人とは結ばれる。 
いつの時代も、人と人。心と心。 
情愛のもつれや成り行きはある。 
だけど、宿世、縁は決まっている。 

この日曜、そんなふうに 
レトルトの「インドカリー」の 
スパイシーなかおりと共に、 
近代史の男女の行方、
恋と革命の味を噛みしめた。 


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虹の彼方へ、正和さんの肖像 [BOOK]

「空に虹は何度でもかかる。 
美しい虹。それはたった一度ではない。 
希望を失わずに、絶望せずに、 
生きてください」 
正和さんの声、優しいまなざし。 

断片的な事実で 
その印象を固めるのではなく、 
鳥の眼で全体を俯瞰し、 
虫の眼で細部に気を配り、 
魚の眼で流れを読む。 

如何に客観的に物事を捉えるか、 
それにより、人の人生を 
大きく変えることもある。 
田村正和さん演じる佐原弁護士は 
そう教えてくれた。 

正和さんは、コメディよりも
シリアスなドラマの出演を好んだという。 
享年77歳。そのご逝去は、 
とてつもなく哀しく、寂しい。 

田村さんといえば、 
言わずもがな古畑任三郎や 
「パパはニュースキャスター」だが、 
僕は、ご本人に合わせるわけではないが、 
シリアスな大人の男を演じた作品に 
心底惹かれる。 

例えば「さよなら、小津先生」。 
あの学園ドラマは爽やかだが 
決してそれだけではない。 
小津はワケあり高校教師。 
バブル処理をしていたエリート銀行員が 
解雇され、家族を失い、その結果、 
私立高校の臨時教員となる。 
バスケ部のコーチとして生徒と共に 
希望の欠片をすくい上げ、 
再生していく学園ドラマだ。 

この小津先生を演じた正和さんの眼。 
あの哀愁と優しさ溢れるばかりの瞳を 
僕は忘れられることはないだろう。 

シリアスものと言えば先日、
田村さん追悼ゆえに再放送した 
松本清張原作のドラマ「疑惑」。 
佐原弁護士を演じた正和さんの 
静かで哀しい、でも鋭く、 
慈悲深い眼も決して忘れまい。 

ある夏の深夜、高級料亭の老主人が 
クルマごと海に転落し、死亡する。 
助手席にいたその妻、球磨子(沢口靖子)は、
独り海面に泳ぎ出て助かる。 

マスコミは球磨子の生い立ちや気性、言動から、 
夫殺しを企んだ非道、鬼畜と決め付け、 
あることないことを報じ続ける。 
警察もそれに同調し彼女を逮捕、
世論は球磨子が極悪人と信じるようになる。 

この世でたった一人、 
彼女の無実の可能性を 
信じたのが佐原弁護士。 

噂や記事内容の隙間に
こぼれ落ちた「事実」の欠片を
拾い集め、実際に関係者に会って
「真実」をつまびらかにしていく。 

そこにあるのは、 
弁護士という職業人の執念 
客観視と慈悲の心だ。 

この作品では清純派のイメージが強い
 沢口靖子さんが汚れ役で迫真の演技。 
絶望と諦念に満ちた役の田村さんとの 
演技の掛け合いが白熱する。 

結論を綴る野暮はなしだが、 
逆転に転じるきっかけとなる裁判での、 
掠れた声の佐原の弁論は圧巻。 
僕は何度も何度も繰り返し観た。 

最後に、佐原が球磨子に囁く言葉に 
優しさが溢れこぼれ落ちる。
 「空に虹は何度でもかかる。美しい虹。
それはたった一度ではない。 
希望を失わずに、絶望せずに、 
生きてください」 

田村正和さん。 
昭和から平成へとテレビの画面の中で、 
ワクワクとドキドキの時間をくださった。 

沢山の虹をかけてくださった大スターへ。 
合掌
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人と人が成す輪郭 [BOOK]

ビジネスパーソンであれば、 
特にエリートを目指すなら、 
小説など読むべからず、 
と言われたことがある。 

フィクションの物語は 
映画やTVドラマで賄うべきであり 
小説ではなく、 
仕事に直結するノウハウ本や 
名経営者の書いた経験談を読むべきだと。 

また、ある名経営者は、 
誰かが書いた空想の世界など
読んでる時間が勿体ない、 
と何かの記事で仰っていた。 

いろんな意見があっていい。 
僕は平日は経営関連等、 
堅い本を読んでいるので、 
大型連休くらいは小説を堪能したい。 

小説には作者の叡智や人生観などの価値観、
人生経験が盛り込まれていること、 
活字からの想像力を鍛え、 
感性や心を豊かに出来ること、 
非日常の世界、旅路に導かれることで、 
戻ってきた日常に潤いが増し、 
心が洗われること、 小説のそんな利点しか、 
単細胞の僕には思い浮かばない。 

いずれにしても、小説には 
広範な分野と好みがあるし、 
人によってはハズレと 
感じることもあるので 
作品や作者は選ぶ必要がある。 

僕にとって、大人のメルヘンを描く 
吉田篤弘氏の作品にはハズレがない。 
同氏の作品の主人公は大抵30代であり、 
僕なんぞ年老いた感があるが、 
同氏は僕と同世代なので、 
共感出来ることが多々ある。 

また、なんと言っても 
新緑を靡かせるそよ風や、 
棚引く雲の向こうの青空を 
想起させてくれるテイストは絶品。 

そんな思いで年末に買って未読だった 
「流星シネマ」(角川春樹事務所)を 
今日読了した。 

舞台は小さな町、下町の印象で 
主人公はこの町で生まれ育った、 
タウン誌の編集者、太郎。 

この町には伝説がある。 
かつて、鯨がこの町の川に流れ着き息絶え、
町民によりそこに埋葬されたという。 

物語は太郎を中心に 
彼の元上司のアメリカ人、アルフレッド、 
2人の幼馴染みの親友とマドンナ、 
天然パーマのピアノ好きの若者、 
ステーキ屋の主人、
詩集編集者の老女、 
廃業した工場主、 
オーケストラの団員といった顔ぶれ。 
全員、それぞれに何かを背負っている。 

詩集編集者のカナさんが、 
同じ編集に携わる太郎に言った言葉が、 
心に大きく響く。
 「わたしが思う編集者の仕事というのは、 
混沌としたものとか、 
散り散りになってしまったものとか、 
あとはなんだろう、 
みんなが忘れてしまったものかな、 
そういったものを、 
ひとつにまとめていくこと、 
ひとつにまとめて、 
ふさわしい輪郭を見つけていくこと 
だと思っている」 

これは、職場のリーダーにも必須の要素だし、 
いや、ビジネスに関係なく、 
人が生きていくうえで大変重要なこと。 

人と人。心と心。 
人はひとりでは生きていけない。 
誰しも何かしら背負っている。 
だからみんなが、 
ちょっとしたことでも良いから 
結び付きとか絆を育む編集者たれと。 

本作の最終ページに
もうひとつの名言がある。
「未完成なものだけが、完成に到達できる。」 
僕らは誰もが未完成。 
だからやり直せる、再生できる。 

そんな勇気を授けてくれるこの一冊から
爽風と素晴らしい時間を拝受した。 



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追憶の価値 [BOOK]

大型連休こそ沢山読むぞと意気込む。 
最初の一冊は、年末に読み掛け、途中だった 
浅田次郎氏の小説「おもかげ」(講談社文庫)。 

総合商社の子会社役員を勤め上げ、 
定年退職を迎えた65歳の主人公、 
竹脇正一がその送別会の帰路、 
地下鉄で意識を失い倒れ、 
救急車で運ばれるところから始まる。 
そこを起点に回想や幻想、憧憬の場面で 
本作は綴られていく。 
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 親に捨てられ孤児院で育てられた正一と、 
同様に親の愛情に恵まれなかった妻節子。 
同期入社で後に上司(社長)となった親友、 
親類以上の絆で結ばれている幼馴染み、 
粋で心優しい娘婿、 
正一と20年以上の面識がある担当看護師、 
そして幼い頃亡くなった息子春哉。 
登場人物たちの個々の物語がクロスし、 
様々な伏線となって後半で結ばれていく。 

正一は死の間際にベットの上で 
過去を振り返る機会を得る。 
それは、不遇の生い立ちを乗り越え 
人生を切り拓いてきた正一への 
天からのご褒美のように思えてならない。 

作者が描きたかったのは、
親と子の切っても切れない、えにし。 
この世に生を受けた根源と、 
その生をどう全うしていくかということ。 

僕もあと何年かしたら、 
送別会はなしかもしれぬが 
最終出社の日を迎える。 

作中の途中ごと、正一の追憶に、 
我が20代の追想を何度も重ね、読み進めた。

今、何とか生きられている。 
もう感謝しかない。 

たとえどんなに辛い過去があろうと 
懸命に生きていれば、 
人は幸せだということ。 

正一とは違い、 
生涯を振り返る間もなく突然に、 
この世を去る場合がある。 

誰もがいつどうなるかの人生。 
日々の感謝だけは手放すまいと 
心するGWの出だしである。


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カレーライスに拘りなし [BOOK]

夫はカレー好きだが 
どの店のどのカレーという拘りはなく、 
行く先々で食せる大好物には、 
それぞれの味があると解釈している。 
好物へのキャパが広い。 

一方、その妻と一人息子もカレー好きだが、 
味やスパイスに拘りがあり、 
特に妻はカレーに限らず 
美味しい料理を食べ気に入ると
自宅で再現するのが得意。 

我が国で三冠王を3度獲った唯一の人、 
落合博満氏は新著「戦士の食卓」(岩波書店)
でそう語っている。 

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落合氏は、カレーのルウで 
お酒が飲めるほどの部類のカレー好き。 

この孤高の天才バッターは、 
バットのグリップ部分の削り加減に拘り、 
数ミリ違うだけで気付いたと 
ミズノでバット作りの匠が
数年前に言っていたのを思い出す。 
バッターボックスでの佇まいは 
一貫とした「神主打法」で有名だ。 

同氏が常に言葉にするのは 
「技術」を磨くこと。 

心や精神より先に、 
技術がなければ打てるはずない、 
との独自の理論がある。 

同氏は監督として中日ドラゴンズを 
セリーグの常勝チームに
育てたことでも知られている。 

その理論はとにかく、勝ってナンボ、 
とことん勝ちに拘った。 

長嶋ジャイアンツが求めたのは 
観客が楽しめる野球、メイクドラマだ。 
片や、当時の落合ドラゴンズは
 1対0でも勝てば良いという考え方。 

自分に求められているのは勝つこと。 
そのために徹底的に考え、 
監督としての「技術」を磨いた。 
同氏の美学、プロフェッショナリズム。 

同著では、そんな落合氏の食を支え続けた
信子夫人の料理への拘りを 
夫人自らの言葉で紹介している。 
夫をホームランバッターにするために 
故意に太らせる等、 
夫の身体作りへプロフェッショナリズム、 
その「技術」が綴られている。 

ひとつのことに拘り 
深く技術を探求する奥深さ。 

片や、広範に沢山のことを受け入れ、 
視野を広げ、楽しみを増やす喜び。 

やはり、どんなプロでも、拘る所にこそ
神経も力量も拘って注ぐ、 
そんなメリハリが肝要。 

かくなる僕も、じゃがいもが形を崩さず
沢山入っている昭和のカレーライスが大好き。

珈琲と合わせるのが僕の拘り。 
とはいえ今夜は落合氏に肖り、 
芋焼酎のソーダ割りで 
カレーを頂こうと思っている。 


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