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一瞬ごとの。 [CINEMA]

「あの人は、でかいね。
いつも穏やかで、心静か。
どんな人にも、どんな出来事も、
どんな屈辱も戯言も、
にやりと微笑み、包み込んでしまう。

不機嫌にいじけたりせず、大きな懐で
小さなこだわりや、わだかまりを
丸ごと受け入れられる人。

人の態度や姿勢を変えようとせず、
目の前のこと全てに感謝し、
柔らかく引き受ける。

器が違う、度量が違う、人格が違うのだ。
自分の欠点との戦いに勝利している。

あらゆる悲哀、艱難辛苦をも
飲み込んだ孤高の境地の微笑み。
天から賞賛される人。

そう言われる人に私はなりたい。」

僕は、2020年のアニメ映画「ソウルフル・ワールド」を鑑賞後、傷心を負った若い頃に僕が作ったこの文章を思い出したのでした。

この映画のBlu-rayを買ったきっかけを思い出せないのです。本かネットで推薦されていたのか。僕はジャズ好きなので、その方面の人から教えて頂いたか。
いずれにしてもいい歳したおじさんである僕が、この作品とのご縁を頂き、大感謝、歓喜なのです。  

舞台は米国、ジャズの街。非正規雇用の音楽教師ジョーは、ある日、校長から、正規採用が決まったと言われる。喜ぶ反面、彼にはプロのジャズピアノミュージシャンになりたい夢があった。その直後に彼にジャズの大スターとの共演の機会が訪れる。その矢先、彼はマンホールから転落、不思議な世界に迷い込むのだった。
そこは人間が生まれる前の、魂の存在が集うワールド。そこで彼が経験したとは。

ネタバレはこれくらいにして、僕は本作は子供向けアニメというより、ジャズを楽しむ作品というより、大人向けに、人が生きる意味を問うた名作だと思いました。

僕らの生きる世界では、
楽しいことばかりではなく、
哀しくて、しんどくて、
憂鬱に感じることも多々あります。
哲学の書では、そういうことも
有り難い、必然のこととして
受け入れよとありますが、
辛いことを楽しく感じることは
人間なのでなかなか難しい。

でも甘味ばかり食べていたら飽きるし、
塩気のものも食べたくなる。
酸っぱいものも、苦味のあるものも。
ビターなスパイスを含めて人生の味わい。

どんな出来事も、
街角で風に揺らぐ木々の葉も、
陽光差し込むせせらぎも、
その瞬間ごと、息づく何かが必ずある。
何ごともない日常がどんなに有り難いか。

僕らの生きる一瞬一瞬が
宝物のような輝きのある時間なのだと
本作は教えてくれます。

瞬間ごとの出来事に感謝して、
苦味も含めて笑って包み込む。
吹き飛ばすことが出来る人でありたいと。

この作品を観終わって、
僕はミスターチルドレンの「HERO」の
歌詞を思い出しました。

「人生をフルコースで深く
味わうための
いくつものスパイスが誰にも
用意されていて
ときに苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを
笑って食べる君のそばに、
僕はいたい」

最後までお読み頂き、
ありがとうございました。


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春の癒やし、映画館での。 [CINEMA]

今週木曜、同じ職場で働く仲間が
どこか元気がない様子だったので、
大丈夫?と訊くと
「4月に入り毎日出社し、
慣れてないので疲れたのだと思います」
とのこと。

3月末までは週に2日は
在宅勤務のテレワークでしたが、
入社式の手伝い等もあり、
今月は日々出社することになったと。

「3年前までは週5出社が
当たり前だったのですがね」

四十代の彼女はそう言いました。
その実感はものすごくわかります。
先月は期末、なにかと業務が集中して
お疲れ模様も漂うはず。

僕は余計なことと思いつつ、
「今度の土日は、雨の予報なので
シネコンで午前に1本と午後に1本、
映画でも堪能して、非日常に浸れば」
と拙いアドバイスをしたのでした。

実に陳腐な助言だと浅慮を恥じたのですが、
その実、僕ならそうすると思ったのです。
但し、ビジネス系の作品ではなく、
冒険(アドベンチャー)ものと
ヒューマンストーリーの
計2本をチョイスするでしょう。

仕事の疲れ、思考の疲れを取り除くには
運動したり、旅に出たり、自然に身を委ねるのが最適と思えますが、あいにくの雨。

であれば、映画の世界に入り込み、
全く違う世界を旅するのも一考。
勿論、自宅でのブルーレイや
アマゾン等での鑑賞も良いのですが、
今や大型シネマコンプレックスに行けば、
ゆったりしたラグジュアリーな空間で、
1日に複数の作品を楽しめる時代。

僕は小学校高学年の頃、
街の映画館でよく邦画を
観ていました。
ビデオレンタルもない時代です。

当時の映画館は2本立てが主流。
メインは2時間以内、
サブは90分以内の作品の組み合わせ。
とはいえ、後者もなかなか面白く、
この2本を堪能した後、
夕暮れの商店街を 
物語の余韻から抜け切れず
ぼおっと歩くのが好きでした。


職場の彼女は、シネコンは名案ですね、
と僕に返し、微笑みました。 

その数分後、僕はトイレの鏡に映る自分に
「映画館か。自分に囁いた言葉だな」
と少し疲れた顔をしげしげと見つめました。

さて、この土日は何を観ようかなと。

皆さん、来週のために、良い土日を!!!


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幸福 [CINEMA]

先日、TVを流し見していた夜、
街ゆく人に突撃でインタビューし、
貴方の家まで着いていかせてください
という番組が始まり、
気付くと僕は見入っていました。

その回の街は、十条銀座商店街、
インタビュー対象は66歳のおじさん。
ダメージジーンズを履き、
肉屋で1個数円の肉団子(ミートボール)を
10個買っています。
「これ、まずくないんだよ」と言って
番組スタッフにお裾分け。
そしてスタッフは彼の家まで同行。

そして分かったのは、
彼は狭いアパートに一人暮らし、
週に何度かバイトしていること、
何十年も前に奥さん、お子さんと別れ、
たまに、既に家庭を持つお嬢さんから
連絡が来ること。

何よりも僕が食いついたのは、
彼は自称「日本映画マニア」で、
大学ノートにDVD鑑賞記録が2000本、
そのノートの使い方も燻し銀。

そのノートには1行ずつ
映画のタイトルと評価マーク、感想が
ぎっしり書き込まれています。
評価マークは「なかなか良い」が○、
「もう一度観たい程良い」が⦿、
「いまいち」が△といった具合い。
邦画ならジャンルを問わず鑑賞。
絶妙なのが、1行感想です。

例えば「ビリギャル」なら「主演女優が素晴らしい!!」など。1行だから僅かな言葉。

限られた数の文字に思いが凝縮される。長々と感想を書く使命感やプレッシャーは全く不要で自由。1行だから余計に表現力が必要だとも思います。

人生いろいろあれど、
3度の飯より邦画好き。
邦画があれば幸せ。

足繁くTSUTAYAに通い、
心躍らせ作品を選ぶ。
電気代が勿体なく省エネで、
毎夜、部屋の電気を消して、
邦画を映し出すTVモニターの、
画面の明かりだけが彼を照らすのです。

真の「日本映画マニア」。
ノートに書き記す記録も喜びも。
ひとつの幸せの形だと思いました。

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セント・エルモスの灯り [CINEMA]

♪「見つめてた スクリーン
雨の日の映画館。
何度も頷いて観た
「セント・エルモス・ファイアー」。

…禁煙の客席に淀んだ煙草のせい
流れた涙の訳は
「セント・エルモス・ファイアー」。
散り散りの仲間でも
元気でいてくれれば。
冷えた缶のビールを
そっと瞼に押し当てた。
バラバラさ、人生は
いくら寄り添ってみても
震える心までは抱きしめられはしない。
♪アリス「セント・エルモスの火」

2009年のアリス復活アルバム
「アリスX」のラストナンバーが、
谷村新司さん作詞作曲の
「セント・エルモスの火」。
僕の大好きな曲で、
何度も聴き返している。

この詩は、1985年のアメリカ映画
「セント・エルモス・ファイアー」を
モチーフにしている。

その名作は、大学の同級生だった、
22歳の7人の群像、
それぞれの青春模様を描いたもの。

1980年代の人気俳優、
エミリオ・エステベス、ロブ・ロウ、
アンドリュー・マッカーシー、
デミ・ムーア、アリー・シーティなど、
オールスター勢揃い。

政治家や弁護士、ミュージシャンを
目指す者、同棲するカップル、
片思い、恋に飛び込めない男女も。
若さゆえの熱量と自由さの裏腹に
無鉄砲さと無謀さ、見境のなさもある。

ミュージシャンを目指すビリー
(ロブ・ロウ)は、1児の父だが、
手当たり次第に女性を口説く浮気者。
お調子者で仕事も全て中途半端、
クビになり続けている。

ジュールズ(デミ・ムーア)は
現代っ子で先端のファッション、
自由気ままに生き、破天荒さがある。
いつも天真爛漫な笑顔の彼女だが、
実は父親との深い確執、
心の深部に大きな傷がある。

失意のどん底にいるジュールズに
ビリーは言う。
漁師は暗闇の海で、
微かな道標となる
灯りを夜空に見つけ、
それを頼りに進む。
そのセント・エルモスの火は、
実際には存在していない、
心の中にもとる灯り。
そうやって不安だらけの道を
歩いていくものだと。

この7人は仲間。
セント・エルモスBARという店に集い、
飲んで騒いで話し合う友達。
でも、それぞれの人生がある。
それぞれの道を
自分で決めねばならない。

♪「バラバラさ。人生は。
いくら寄り添ってみても
震える心までは抱きしめられはしない。
だから、一人で、だから一人で
生きるしか出来なくて。
不器用だけれど、それしか出来なくて」♪
アリス「セント・エルモスの火」

不器用でも生きていける。
心が震えても、自分を抱きしめて
何とか生きていく。

劇中の彼らの世代より、
30年以上の歳を重ねた僕なんぞ
大して20代の頃と変わらない気がする。
多少の分別と諦観、穏やかさを
身につけたくらいです。
でも、人生はなんとかなる。
心震えても、ときに誰かと語らいながら
心の中のともし火を見つめ
これまで生き、生かされてきた自負で
我が身を抱きしめていく。

その火とは、言の葉だ。
自分だけに携える宝。
そして大切な人の笑顔。


♪「不器用だけれど、
それしか出来なくて」♪

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歩き煙草と煙の行方〜コロンボ譚(2) [CINEMA]

1人、2人、3人…、数えで8人。
期日前投票からの帰途、
駅から自宅までの徒歩30分で
僕がカウントした「歩き煙草」の人数。

この方々以外に
マスク外しの人が10人、
マスク着用は30人。

勿論、マスク外しは
もはやルール違反ではない。
熱中症予防等との見合いだ。
それより、マスク着用が30人いて、
律儀で謙虚で生真面目な日本人が
まだまだ多い。かくなる僕も
外でもまだマスクを着ける。

日曜昼前の帰路に
何で50名近くの人とすれ違うのか。
それは駅から拙宅への途中に
自動車運転試験場があるからだ。
日曜はいつも大賑わう。

ところで、煙草と言えば、
僕も大学生の頃から25年間、
嗜んできた。40代になってから
きっぱりやめた。高血圧だからだ。

でも、ドラマ「刑事コロンボ」で、
ピーター・フォーク演じる
コロンボ警部がくわえる葉巻を観てると
無性に煙草が懐かしくなる。

コロンボの「殺しの序曲」という巻で
鮮明に脳裏に焼き付くシーンがある。

世界のIQトップの人々が集うクラブで
殺人事件が発生、頭脳明晰な容疑者を
相手にコロンボが事件に挑む。
とうとうコロンボが会計士のオリバーを
逮捕に追い込む。

その夜、雷雨でクラブハウス停電し、
2階の部屋でコロンボはオリバーと
2人だけになる。

静けさのなかで、コロンボは
葉巻ケースを取り出し、
そこから一本をつまんでくわえ、
マッチで火を着ける。
そして、自分の歩んできた道程を
こんなふうに語り始める。

これまで沢山の頭の良い人と
巡り合ってきた。
軍隊にも恐ろしく頭の切れる人がいた。
このままじゃ、刑事になるのも
容易じゃないと思った。
でも、彼らより、時間をかけて、
本を読み、丁寧にコツコツやれば、
何とかなるんじゃないかと…。
何とかなりましたよ。
私はこの仕事が心底好きなんですと。

うす暗い部屋で
葉巻の煙がたゆたう向こう、
コロンボの人生観が漂う。

葉巻や煙草を僕は否定しない。
吸い過ぎに注意すれば良く、
あとはTPO、場所や周囲への配慮だ。
だから、オフィスの煙草部屋の入口に
人が並んでいても、呆れたりしない。
節度が守れる日本人は多いと思う。

屋外でも喫煙厳禁の区域はあり
それを守らない歩き煙草はNG。
たとえ、免許証を更新して、
ほっとひと息つきたくても、
ルールはルール。
律儀で謙虚な日本人らしく。

真面目にコツコツ、誠実に、
民主主義と僕らの未来を守るための
国政選挙はいよいよ来週日曜。



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あるダンディイズム〜コロンボ譚(1) [CINEMA]

アメリカ映画のスターで歌手の
ジョン・ペインを僕は、
刑事コロンボを観るまで知らなかった。

ペインが活躍したのは主に1940年代。
この頃のスターで僕が知っているのは、
ヘンリー・フォンダであり、
ゲーリー・クーパー、
ハンフリー・ボガート、
ジェームス・キャグニー、
ジェームス・スチュワート、
グレゴリー・ペック。
ジョンといえば、ウェインだった。

ジョン・ペイン演じる紳士に
コロンボは言う、
「彼女はもってあと2ヶ月だと、
医者は言ってます」。
紳士は愕然とし、言うのだ。
「彼女の夫を殺したのは私だ」と。
彼女をかばうのだ。

「刑事コロンボ」で最も好きな巻は
と訊かれれば、僕は「殺しの序曲」か
「忘れられたスター」と答える。

前者は以前ブログでご紹介したので
今回は「忘れられたスター」を。
(半世紀前の巻ゆえ、ネタバレご勘弁)

往年のミュージカルスター、グレース
(ジャネット・リー)は引退して久しく、
もう一度スクリーンの世界へ
カンバック(映画製作と主演)を狙うが、
医者である夫はそれに反対し、
映画作りの資金を出さない。
彼女は夫に睡眠薬を飲ませ、
自殺と見せかけて殺害してしまう。

夫の遺産を得たグレースは
ミュージカル映画製作へと
かつての恋人で映画スターだった、
ダイヤモンド(ジョン・ペイン)に
協力を仰ぐ。

グレースとダイヤモンドは、
撮影開始に向け忙しい日々を送る。

そんななか、毎日のように
グレースの家に日参するのが、
ヨレヨレのレインコートのコロンボ
(ピーター・フォーク)。

グレースとダイヤモンドの
大ファンであるコロンボは、
複雑な気持ちで捜査にあたるも
様々な事実を把握するに至る。

その夜、コロンボはグレースから
自宅での映画試写会に招かれる。
若い頃彼女が主演した
「ウォーキング・マイ・ベイビー」だ。
ダイヤモンドも同席する。
このときコロンボは
「あなたが犯人ですね」と彼女に
印籠を渡すつもりで訪問したのだ。

試写が始まる前、
せわしくその準備をする彼女を横目に
コロンボとダイヤモンドが
ひそひそ話を始める。
彼女が夫を殺したと疑うコロンボを
ダイヤモンドは批難していたから、
コロンボは、殺害方法を立証すべく
淡々と説明する。

コロンボは何故、直接彼女に説明せず、
事前にダイヤモンドに話したのか。
彼女は不治の病に侵され、かつ、
記憶喪失になっていたからだ。

彼女が余命幾ばくもなく、
もってあと2ヶ月だとコロンボは
ダイヤモンドに告げる。
勿論、彼女はそれを知らないと。
ダイヤモンドは、彼女に言うのだ、
「君の夫を殺したのは僕だ」と。
そしてコロンボに言う
「警部、僕を連行してください」と。

ふたり。遠い昔、深い恋に落ちた
グレースとダイヤモンド。

コロンボは呆れるも、
まぁ、それも良いでしょう、
でも「あんたの自供などすぐに覆される」
と告げ、ダイヤモンドと豪邸を跡にする。

このラストシーンでの
ダイヤモンドを演じたジョン・ペインは
惚れ惚れする程の男ぶり。
ダンディイズムとは、こういうものだ。
コロンボと共に警察に出向くべく、
豪邸の玄関で帽子をかぶる堂々たる姿は
僕の中で燦然と輝く、
これぞハリウッドスター。

ちなみに、この巻のなかで、ペインが、
ミュージカルソングを歌う場面がある。
静かに口ずさむ、哀愁を帯びた歌声は
40年代に時計の針を巻き戻す力がある。

僕は少年の頃から、
この巻を観続けてきたが、
ペインが滲み出す味を知ったのは
ほんの数年前。
40代の頃までは、
この渋みに気付かなかった。
コロンボの推理力だけに着眼し、
人間ドラマに気付かなかったのだ。

齢を重ね知ることもある。
そうか、そうであったかと。


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大ボスの存在感、「We」の価値観 [CINEMA]


二人の記者が必死で
真相に近づこうとしている。
通常、大手メディアの記者には
ボス(上司)が沢山いる。
まずはキャップやデスク、
その上に部長、さらに編集局次長、
そして、編集局長。
その上に、社運に関わることなら
最後の難関、編集主幹、主筆だ。

この二人の記者、
ウッドワードとバーンスタインは、
明日の紙面に用意した、
大スクープの裏取りに必死になっている。
彼らは、主幹の動きをじっと見ている。
その主幹は編集局フロアをのそのそと歩き、
各部長や記者たちに声をかけたり、
相談に乗ったりしている。

二人は主幹が帰ってしまうのを
懸念しているのだ。
あと一本の電話がかかってくれば
裏取りが完了する。
でも締め切り時間も間際に迫っている。
緊張の時間が流れる。
その主幹の名は、ベン・ブラッドリー、
ワシントンポストの名物ジャーナリスト。

このシーンは、
1976年の映画「大統領の陰謀」の一幕。
ピューリッツァー賞受賞の実話で、
ウッドワード役はロバート・レッドフォード、
バーンスタインはダスティン・ホフマン、
主幹のベンは名優ジェーソン・ロバーツ。

ベンは大ボス。
報道機関の最後の砦、守護神。
ウォーターゲート事件の裏幕、
不正の真相に近づく二人を
鋭く厳しい眼光で励ます。
口癖は「裏取りが足りないぞ!」。

明朝刊の締め切り時間のぎりぎりに
バーンスタインが何とか裏取りに成功、
彼は編集局フロアに響き亘る声で
相棒であるウッドワードに叫ぶ
「ウッドワード!やったぞ!!
(Woodward!! WeGot It.)」

この「We」が大切で、俺達の手柄の意。
二人、そして彼らを応援した上司の喜び。

そして帰ろうとエレベーターに
乗り込んだベンに裏取り完了を報告する。
ベンは言う
「出せ!(We Go With It.)」。

ここでの「We」も極めて重要。
万が一、大誤報となっても、
俺は主幹として、
お前らを絶対に見捨てない、の意。

二人は事件を必死で追うので、
客観性に欠ける場合がある。
どんな仕事でも、とかく担当者は
目の前の処理に追われ
どこか俯瞰した考えが足りなくなるもの。
それを補い、客観性を担保し、
励まし、経験を促し、成長させるのが
ボスの仕事だ。
ジェーソン・ロバーツ演じるベンは、
少ない言葉かつ圧倒的な存在感で
それを示す。「We」の重さも。

2017年の映画「ペンタゴン・ペーパーズ
最高機密文書」では、
このベンをトム・ハンクスが好演。
そこでのベンは雄弁で、
正義感とスクープに燃える迫力がある。
本作ではワシントンポスト社主の
キャサリンをメリル・ストリープが好演。
僕は映画館で観て、Blu-rayで何回も堪能、
常々勇気を頂戴している。
45年前の名作「大統領の陰謀」と同様に。


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人を想うこと [CINEMA]

「人が、人を想う。 
これ以上に美しいことは
ないんだよ」
高倉健

先週、わが娘が家を出て、
再びひとり暮らしを始めた。
引っ越しでドタバタの様子、
だから特には声をかけなかった。
彼女が出ていった当日の夜、
短いメールが届いた。
「2年間、お世話になりました。
昨日はドタバタしてすみません」。

昨日、土曜朝、僕はいつもの
買い出しに出掛けた。
コンビニ弁当や菓子パンなどを
一人分減らした。
僅かだが荷物は減った。
少しだけ軽くなったのだ。軽く。
この感覚は前回の娘の引っ越しより
どこか重い。ずっしりと。
これからも会うことは出来るだろうが
僕の歳、彼女の将来を思えば、
今生もう同居することはない。
そう思えるからだ。

会社でも人が異動したりで、
どんどん景色が変わる。
当たり前過ぎるこの事実、
永遠なる移ろい。

僕は昨日から健さんのこの言葉を
思っている。

「人が、人を想う。 
これ以上に美しいことは
ないんだよ」
高倉健

「鉄道員」「幸せの黄色いハンカチ」
「ホタル」「駅舎・ステーション」
「遥かなる山の呼び声」「あなたへ」
「単騎、千里をいく」「海峡」「動乱」
健さんの主演作は全て、
人を想う心の美しさを描いた作品。

この地球で、今この場所で
生を紡いでいるという奇跡。
やがて天に召された後、
自分の存在など、
誰も思い出すこともなくなる。
よしんば長生きしても、
今から数年後は
誰の記憶にも残らないだろう。

だからこそ今を生きる。
懸命に生きる。
誰かの記憶に残すためではなく、
自分がこの世に生を受けた証として。
その生を育むなかで
最も美しいのは、人を想うこと。

相手の立場を慮ること。
混じりっけなしの気持ちで
相手を許すこと。
その人と過ごした季節が
あったことに感謝すること。

ときは過ぎゆく。
跡形もなくなる。
記憶もなくなる。
だから、今が尊い。

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土曜のコロンボ [CINEMA]

小学生の頃、毎週土曜の夜が
待ち遠しくて堪らなかった。
午後7時半のクイズ番組「連想ゲーム」の
ほんわかしたエンディングテーマ曲が
流れると、わくわくが止まらなくなる。
次の瞬間、午後8時に始まるのだ。
米国ドラマ「刑事コロンボ」が。

この時間で、
一週間のモヤモヤや疲れが
一気に吹き飛んだもの。

今、NHK-BSプレミアムで
毎週土曜の午後4時過ぎから
このコロンボの再放送が観れる。
ヨレヨレのレインコートがシンボル。
土曜だからこそ、どこか懐かしく、
そこはなとなく嬉しい。

記憶を辿れば、僕が観た初めての
海外ドラマシリーズは、
「ローハイド」でも「拳銃無宿」でもなく
「奥様は魔女」か、この「刑事コロンボ」。

次々に起こる殺人事件。
犯人は毎回、様々な業界の人。
医者、ワイン会社の社長、料理研究家、
往年の大女優、シンクタンクの社長、
オーケストラの指揮者、
小説の編集者、推理小説の作家等など。
小学生ながらに
いろいろな職業の人がいるものだと
興味津々でもあった。

このロサンゼルス警察の警部は、
ヨレヨレで皺だらけのコート姿、
オンボロに見える古い自家用車、
しなびた、安い葉巻
櫛を通していない髪型、
磨いていない茶色の靴が
トレードマーク。

コロンボのファンである三谷幸喜氏が
そのオマージュとして
「古畑任三郎」を書いたのは有名。
田村正和さん演じる古畑警部補は
黒づくしのファッションで、佇まいや
立ち居振る舞いに気品があったので、
コロンボとは趣きを異とする。
だけど、犯人へのアプローチには
コロンボと同様の、
観察力と緻密さ、粘りと閃きがあった。

コロンボアプローチは、
これぞホシだと睨んだ人物には
とぼけた雰囲気で近づき、
「うちのカミさんが貴方のファンでして」
「うちの甥っ子がね…」
コロンボの身内や犬の話など、
相手にとってどうでも良い話題を始める。
これに犯人はだんだん苛立ち、
コイツは大した刑事ではないと油断する。

でも時間の経過と共に
コロンボのちょっとした気づきに、
犯人は、「コイツ、侮り難し」と
焦り出すのだ。

思えばコロンボは、
所有する物を大切にした。
コートも靴も車も新調せずに
使い尽くしていた。
この姿勢には脱帽。

推理のアプローチも本質的で
基本中の基本をど真ん中に置いた。
人間の心理や、欲望の隠れ場所を辿る、
いろはの「い」を重んじていた。
この姿勢には感服。

言い過ぎかもしれないが
いわばSDGs精神の先駆者。
科学捜査などAIが進化するなか
人間の「考えるチカラ」の伝道師。

身近にあることへの洞察。
気付きである。
大切なのことは既に近くにある、
ヒントのカケラはすぐそこにあると。
人が生きていくうえでの最も大切な原点。

土曜の午後の、ヨレヨレ。
やはりコロンボは土曜に限る。
ワクワクのとき、心の靄が消え去る。
あのアプローチを両手で受け取るように、
今日も観る。


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極寒の地、シネマ2作から(2) [CINEMA]

もう一作「ロシアハウス」。
英米とロシアの国防に関わる
諜報(スパイ)映画であり
恋愛ものでもあります。

英国諜報部の命を受けたスパイ、
バーリー(ショーン・コネリー)と、
そのターゲットとなるロシア人女性、
カーチャ(ミシェル・ファイファー)の
燃え上がる愛。
愛する人のために国を裏切るバーリー。
それを知り情愛を深めるカーチャ。

この映画はストーリーが入り組んでいて
理解に苦しむという声もありますが、
僕はジューリー・ゴールドスミスの
甘美で哀愁ある名曲と、
ショーン・コネリーとM・ファイファーの
ツーショットを観ているだけで大満足。

特に、ラストシーン。
リスボンでひとり暮らすバーリーが、
花束を抱え、港に到着した旅客船へと
意気軒昂と歩いてきます。
船上にはカーチャとその子どもたち、
彼女の叔父が降船の支度をしており、
バーリーに気付きます。

バーリーとカーチャの目が合います。
走り出すふたり。
カメラはスローモーションで
到着した女性と迎える男性を
交互に追いかけます。

そして再会の瞬間、
熱くぎゅっと抱擁するふたり。

もう絶対に、離れまいと。

ジューリー・ゴールドスミスの
美しくロマンチックなメロディが
ふたりを包み込みます。

このシーンを観ているだけで
もう全てが解決なのです。

このふたりはこれから
どんな試練が待ち受けていようと
どんな屈辱に晒されようと
ふたりで生きていく決意をしたのだと
この抱擁で僕は感じるのです。
互いに「この人がいれば生きていける」と。

愛や友情、スポーツや文化は
国境を超え、共感や共鳴は世界共通です。

そして、失意の淵、絶望のどん底にいても、
深く強い絆で抱きしめ合える人がきっと現れます。
そこからまた始まる次の人生。

極寒の国でも、世界中どこでも
人は巡り、ときは巡ります。


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