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梯子の段の語り部たちへ〜書棚から2 [BOOK]

狭小のわが家の、更に狭き自室の、
それにしては少し大き目の書棚。
この約30年間、わが愛読書が
入れ代わり立ち代わり
足されては引かれ、今に至る。

2列4段(計8ゾーン)のこの書棚、
不思議なもので、
愛読書たちを指を差して
カウントしようとは思わない。

わが家には各部屋に押し入れがなく
3階にあたる屋根裏に
3畳位の物置きの空間があるだけ。
2階の自室からその屋根裏に、
木製の梯子(はしご)を常時かけている。

今、この梯子(横木)の
下から4つの目までの段全てに、
書棚に収まりきらない本たち、
30冊程が平積みになっている。

気のせいか、彼らは
どこか不安げな風情である。

このままでは、買い続ければ
梯子全8段が本で埋まる。
さすれば、屋根裏へは登れない。
 
その結果、どうなるか。
屋根裏は、家中のガラクタたち、
あるいは季節もの(扇風機など)や
旅行鞄、ダンボール箱の
冬眠場所、寝グラになってる。

去る本より迎える本が多くなることで
ガラクタが家中に散乱することになる。
結果、家族からの反感、反発は必至。
とどのつまり、
僕自身の居場所がなくなる。

かくして、そろそろ、
本の新たな購入は控えねばと
自覚するのであった。

その理由はもうひとつある。
書棚の本たち一冊ごとと
十分に語り尽くしていないからだ。

全ページを一旦読んだだけで、
再読していないものが何冊もある。
要は、読み散らかしたままなのだ。

本の概要を完全に脳に刻むこと、
ましてや暗記など出来るはずはない。
でも、一冊ごととの出会いを
満喫できているか、
そのエキス食べ尽くしたか、
と問われれば、NOと言わざるを得ない。
それで良いのかと考えるのが
僕の悪い癖。

書店に並ぶ新刊本は、
どこか、過去の本たちが
語ってきた内容に似ている。
光の当て方やアプローチ、
表現を変えていただけで
概要や要点は同じ場合が多い。

特にエッセイやノウハウは
そろそろもう十分ではないかと。
わが狭小空間にお招きする余裕はない。
とは言え、大切なこと、
僕がもう既に知っていることを
「誰が語るか」が、重要でもある。

また、小説は、
ストーリーは過去作に似ていても
文章の調べや緊張感、哀愁、
エンタメ性やダイナミズムを
堪能出来るゆえ、無限に広がり
まだまだ道がある。

そして当然に、
一度読んだからではなく、
吉川英治の歴史小説、
山本周五郎や葉室麟の時代小説を
読み直すことにも大きな意味がある。
気づかなかった意味合いに
出会えることが多々あるからだ。
それは既に書棚にある
あらゆるジャンルの本にも当てはまる。

読み手の、その時の関心事や精神状態で
すくい上げる(記憶に残る)活字が
異なってくる。

住空間には限りがある。
持ち主の器以上に、
家は大きくならないと
誰かが言った。
(そんなこと、誰が言った??) 

やはり本はカウントし、
例えば限定200冊まで、と定めるべきか。
しかし、単行本と文庫本では
占有スペースが大きく異なる。

いずれにしても、
語り尽くしていない本たちとの
時間を大切に育むことにしよう。

今日は、梯子の横木で
心配そうな横顔の本のたちの居場所探し、
書棚への入れ替えをする日に。
どこかわくわくしながら、
彼らの定位置を探す。


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