SSブログ

リュックの人 [世相・センス]

昨日帰宅の電車の中で
僕の隣に立った男性は、
僕に大きな衝撃をくださった。


70歳近いだろうか、
白髪交じりの髪は量が多く、
登山用のようなリュックサックと、
そのサイドポケットにスポーツドリンク、
Gパンに厚手の茶色のジャンパー。


その御仁は当然リュックから
何かのテキストとシャープペンを取り出し
黙々と懸命にページを捲っては
何かを書き込み始めたのだ。
必死の形相だ。


さり気なくもよく見ると
巻末の答えをみながら
該当ページに答えの要点を
書き込んでいる模様。


何かの過去問を解いているのか。
近日中に何か資格試験を受験するのか?
にも関わらず、今日は登山に時間を費やし
この段階で焦りだしたのか?


僕の勝手な妄想は膨らむ。


もしかしたらそうではなく、
彼は大学の教授で、
参考書の監修を担っており、
出版社への締め切りが今日中とか!!


去年あたりから
リスキリングという
学び直しの意味の言葉が
飛び交っている。
何歳からでも学びは始められるという
元気の出る言葉だ。


思えば、YouTubeなどの動画でも
様々な学びのコンテンツがあり、
いつでもどこでもお金をさほどかけずに
学びを始められる時代になった。
誰でも簡単に学べるという意味では、
学ばない人は取り残されるのでは?
という危機意識さえ芽生えそう。


でも僕は思う。
たまさか僕の隣に立った
リュックの御仁のように
没頭出来る内容でない限り、
単に学習に時間を費やすのは
徒労に帰すと。


夢中になれる何か。
学びたくて仕方ないという何か。
学んだ先に喜びが待っている何か。


ただ、ひとつ言えることは、
リュックの御仁は、
日常に追われたふりをする僕に、
何か大きな刺激を授けてくださった、
ということだ。


nice!(2)  コメント(0) 

「クラッシックは永遠だ」 [ステーショナリー]

昨年末のBS-NHKプレミアムで放送の米国映画「マイ・インターン」を観ました。

ロバート・デ・ニーロ演じる、元電話帳制作会社の部長だった70歳のベンが、アパレル販売サイト運営のベンチャー企業にインターンとして採用され、その若きCEO、ジュールズ(アン・ハサウェイ)たちとの世代を超えた心の交流を描いた名作です。

初出社の日、ベンはスーツに身を固め、アタッシュケースを持参します。会社はファッション系、職場の殆どが若手でカジュアルスタイル。ネット通販会社ゆえに、当然にパソコンなどのIT機器が充実。

ペンは自分の席に座り、アタッシュを開けます。そこには、システム手帳やボールペン、小型クロック、メガネケースなどが入っており、全てクラッシックスタイル。
アタッシュはおそらくdunhill、ペンはCROSS、手帳はおそらくfILOFAX、クロックはBRAUNだと思います。いずれにしてもビンテージ感満載、使い込んだ風情が漂う逸品揃いで、思わず見とれます。
隣に座る若手社員は、ベンのアタッシュケースに惚れ込み、思わず自分も買ってしまうのでした。ベンは彼に言います「クラッシックは永遠だよ」。

この作品が素晴らしいのは、デジタル機器を使いこなしながら、アナログツールも重宝にするバランス感覚。

ベンのような高齢者と20代の若手が共に敬い、考えや価値観を受け入れて合って、会社を成長させていく姿です。

ベンはジュールズや若手社員の様々な相談に乗り、彼らと適切な距離感で接します。
そこにあるのは世代間や性別の格差ではなく、相互理解とヒューマニズム。出来過ぎた内容ではあるものの、夢があって素晴らしいと思いました。

デジタル機器の操作を学びながら、クラッシックなステーショナリーを楽しむベンは大変ダンディであり、演じるデニーロはカッコよく、正月早々ブルーレイディスクを買い、何度も観返しています。

今年は幸先良い感じ。
皆さまのご健勝ご多幸をお祈り致します。


nice!(2)  コメント(0) 

幸福 [CINEMA]

先日、TVを流し見していた夜、
街ゆく人に突撃でインタビューし、
貴方の家まで着いていかせてください
という番組が始まり、
気付くと僕は見入っていました。

その回の街は、十条銀座商店街、
インタビュー対象は66歳のおじさん。
ダメージジーンズを履き、
肉屋で1個数円の肉団子(ミートボール)を
10個買っています。
「これ、まずくないんだよ」と言って
番組スタッフにお裾分け。
そしてスタッフは彼の家まで同行。

そして分かったのは、
彼は狭いアパートに一人暮らし、
週に何度かバイトしていること、
何十年も前に奥さん、お子さんと別れ、
たまに、既に家庭を持つお嬢さんから
連絡が来ること。

何よりも僕が食いついたのは、
彼は自称「日本映画マニア」で、
大学ノートにDVD鑑賞記録が2000本、
そのノートの使い方も燻し銀。

そのノートには1行ずつ
映画のタイトルと評価マーク、感想が
ぎっしり書き込まれています。
評価マークは「なかなか良い」が○、
「もう一度観たい程良い」が⦿、
「いまいち」が△といった具合い。
邦画ならジャンルを問わず鑑賞。
絶妙なのが、1行感想です。

例えば「ビリギャル」なら「主演女優が素晴らしい!!」など。1行だから僅かな言葉。

限られた数の文字に思いが凝縮される。長々と感想を書く使命感やプレッシャーは全く不要で自由。1行だから余計に表現力が必要だとも思います。

人生いろいろあれど、
3度の飯より邦画好き。
邦画があれば幸せ。

足繁くTSUTAYAに通い、
心躍らせ作品を選ぶ。
電気代が勿体なく省エネで、
毎夜、部屋の電気を消して、
邦画を映し出すTVモニターの、
画面の明かりだけが彼を照らすのです。

真の「日本映画マニア」。
ノートに書き記す記録も喜びも。
ひとつの幸せの形だと思いました。

nice!(2)  コメント(0) 

新書 [BOOK]

この5年くらいでしょうか。
毎朝午前6時の東京駅、山手線のホームで
同じ車両に乗る彼は、いつも新書本を読んでいます。

歳は推定50歳、身長175センチ位、紺のジャンパー、ビジネストートバッグ、面長で、天然パーマの髪の後が少し立ってる。

当然に名前は知らないし、言葉を交わしたこともありません。東京駅のホームから池袋方面の山手線に、単に、同じ電車の同じ車両、同じドアから乗り込むだけ。お互いストレンジャーの間柄です。

彼はいつも先頭で降りたいのか、ドアの真ん前の中央に立ち、読書に没頭しながらも、先頭ポジションを誰にも譲らない気を放っています。そしていつもの駅に到着するなり、物凄い勢いで走り去るのです。午前6時少し過ぎた頃です。何をそんなに急いでいるのか。まあ、人には人の事情とスタイルがありますから、ましてや見知らぬ僕にとやかく言われたくないでしょう。

では、その彼が何なのか。
気になっているのは、彼は常に新書本を読んでいること。タイトルは判然としませんがいつも何かの新書を読んでいます。

僕は想像するのです。
きっと彼の自宅の書棚は新書本がぎっしりずらりと詰め込んであると。

新書本。
これは凄い発明だと思います。僕にとっては昭和歌謡、流行歌のよう。古臭いという意味ではありません。街の本屋さんの店頭では、ずらりと新書の新刊が所狭しと居並んでいます。そして暫くすると、顔ぶれが大きく変わる。要は、かなりの量、相当なスピードで新書は発刊されるわけです。

思えば新書は便利です。
薄くてサイズも丁度よい。鞄に2冊入れても重くないし、1冊読了するのに電車の行き帰りで2日程度。何かのテーマを素早く要点のみ捉えたいと言うならうってつけの長年のメディア。

その彼は店頭の流行りの新書を片っ端から読みあさっている風情。車内でそれに夢中になりながら、それでも僕の視線や周囲の気配も敏感に感じ取り、ときおり目線を泳がせている佇まいが独特。

貴方の趣味は何ですかと訊かれて、「読書です」と答えると、「読書は趣味の範疇ではありません」と返されそうだが、例えば彼に同じ質問をしたなら「新書を年間200冊読むことです」と答えそう。

それはそれで趣味だ。
そんなふうに僕は思うのでした。まあ、そういう質問は決してできないでしょうが。

なんか、彼のそういう徹底ぶりが、「いいな、有りだな」と思う次第であります。また明日彼に会えたら、凝視せずにさり気なく応援の気配を漂わせたいと思います。余計なお世話ですね。


nice!(2)  コメント(0) 

伴走 [ステーショナリー]

20221211_065052.jpg
僕の友人、漸く50代を迎えた彼の手帳は、「ほぼ日手帳WEEKS」。34年のシステム手帳狂の僕が、
2年前、彼に薦めた綴じ手帳です。

その夏、彼は1ヶ月ほど入院し、僕が薦めたその手帳に、病室での日々を書き記していたそうです。

例えば、毎朝必ず同じ時刻に窓外の鶯が鳴くこと、それは決まって午前4時45分との発見。あるいは、その日の看護師さんの優しい言葉。

先日彼から電話があり、「来年1月、また入院します」。彼は2023年版「ほぼ日手帳WEEKS」に、日々の記録や想いを刻むつもりと、言い添えました。

〈「ほぼ日手帳WEEKS」の魅力〉
①ライフログ、日々の想いの記録
過去の出来事、それに紐付く想いを辿るには、システム手帳よりも綴じ手帳のほうが、年度で一冊に束ねてあるので、重宝する場合あり。

②抜群のサイズ感
文庫サイズの「ほぼ日手帳」より「WEEKS」は小柄で細長く、ジャケットによっては胸の内側ポケットに入る。大き過ぎず小さい過ぎず、絶妙な大きさ。凄い。

③紙の質感と方眼
その紙は触り心地に安心感。ツルツル過ぎるとページをめくりにくいが、僕は適度なウェット感あり。また、方眼の自由さが落ち着く。

④フリーページの豊富さ
後半にある方眼の自由記載のページが沢山あるので、日々の日記、感じたこと、留めたい要点などを先頭に日付入りで記す。さすれば、前半のウィークリーのページの日々と頭の中でリンク出来る。

彼の電話を受け、僕は決めたのです。 
来年は3年ぶり※にライフログに限っては「ほぼ日手帳WEEKS」を使おうと。彼とお揃いの手帳を使い、彼のようにその日がどんな日だったのかを残そうと。
※3年前は、ライフログはWEEKS、越年するデータや言葉はシステム手帳の2冊を使用。

彼の身体が無事に回復し、健やかな日々が少しでも早く帰ってくるように。そして、彼のご家族が安心出来るように。僕には祈ることしか出来ないけど、せめて手帳で伴走したい、同じ時を刻みたいという僕からの勝手な想いですがね。
20221210_085437.jpg


nice!(1)  コメント(0) 

言葉 [ステーショナリー]

朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」を書いていた天野さんは著書「200字文章術」の中で、文章力を鍛えるコツは名文を読むことと記しています。

僕もそう思い、もう十年度前から、朝日新聞の「天声人語」のフレーズをシステム手帳に書き記しています。

20221127_083817.jpg

「天声人語」書き写し専用のノートも市販されていますが、僕の場合は、その日の全文を書くのではなく、過去掲載文の中から、自分の琴線に触れた名文フレーズをシステム手帳に書いています。

20221127_092221.jpg

具体的には、バイブルサイズのリフィルに、万年筆(PARKER51,ブルーブラックの文字)でしたためています。静寂の部屋でひとり、熱々の珈琲を飲んでから、気を集中させ、心を込めて書くのです。そのリフィルを、20年近く前に買ったfILOFAXの「KENDAL」に収めて、時折読み返すのは至福の時間です。

20221127_083037.jpg

新聞のコラムでは、読売新聞の「編集手帳」も日経の「春秋」も好きです。最も大切にしているのは、2007年4月から2013年3月の間の「天声人語」。特に冨永格氏の文章。東日本大震災を挟んでいる時期ゆえに、わが国の甚大な爪跡も含め刻まれています。その道程にあって、筆者の、大和言葉の選択眼と抜群のセンスが極まる文章表現力、温かく柔らかな眼差しが残されています。

20221127_083408.jpg

こうした名文を万年筆で記すとき、自ずと背筋が伸び、鼓動が高まり、深呼吸しながら、一語ずつ紡いでいきます。手前味噌ですが、ページに記した自分の文字が生きている感じがしてくるから不思議です。

この手帳KENDALは、僕にとって神聖なる場所。ウェット感ある上質レザーは、束ねるページの内容と相性が抜群だと思っています。

20221127_081124.jpg

これからもこの手帳を熟成させて、一緒に我が文書力と精神を磨いていきたいと思います。



nice!(1)  コメント(0) 

誤断 [ステーショナリー]

20221126_104823.jpg
東京駅前のオアゾにある丸善は
週2で顔を出す僕にとってのオアシスです。
書店としてだけでなく、
ステーショナリーやネクタイも
センスの良い品揃えで楽しくて。

一昨日のこと。
高級ペン売り場で僕が探していたのは
上品なボディだけどゲルインクが入る
単機能ボールペン。
ゲルインクはジェットストリームの多機能ペンを数種類持っていますが、今の僕は単機能ペンしか使いません。であれば、高級ペンで、スイスイと書きたい。されば、ゲルインクだろうと。

僕は暫くショーケースを眺めていました。
ケースの向こうには、黒縁眼鏡をかけた若い女性店員さん。一見、商品知識に長けたシャープなベテランふうではなく、ふわっとのんびりした印象。

「ゲルインクの芯が挿入出来る高級ペンって、どのあたりですかね?」という言葉を僕が押し殺していると、彼女は察したのか、「何かお探しですか?」と僕の前に立ったのです。僕は抑えていた言葉を吐き出しました。

そこからの彼女はファンタスティック。
ジェットストリームのゲルインクが使える海外ブランドを的確に言い表し、僕の言葉やリアクションから、僕が「PARKER」愛好家であることを見抜き、いくつかの商品を見せてくれました。ちょっと値が張るなと僕が言うと、「PARKER」は廉価なラインナップもあると、100円台からの膨大な量のボールペンが陳列してある売り場へ僕を誘い、ここに「PARKER」の「ジョッター」があると説明。芯も0.38ミリ、0.5ミリ、0.7ミリが入ると教示。

僕は黒ではなく、ブルーブラックはないかと質問すると、黒しかないと即答。
彼女は全ての反応が早く、流れるような身のこなし。僕はなんか心揺さぶられ、Amazonで買ったほうが安いであろう、PARKERのジョッターとジェットストリームの替え芯(インク)を即買いしたのであります。

帰路、僕は大変恥じたのでした。
即買いしたことではなく、
初見で彼女を見誤ったこと。
つまり、この人は詳しくなさそうだと 
勝手に判断したことを。
お陰でプロの仕事を堪能でき、
このペン代金、
大変安くつきました。
20221126_104753.jpg
ジョッター、fILOFAX「NAPPA」と「CHESTER」


nice!(0)  コメント(0) 

年波 [ステーショナリー]

先週、通勤用にPORTERのビジネスリュックを購入。

第7波が去った頃からリモートワークの数が減り、出社する機会が多くなってきた。
通勤往復3時間半で50代後半の僕は、通勤鞄には以下の優先順位でこだわりがある。

①軽くて比較的コンパクト「疲れない」
②外観とデザイン「美的センス」
③収納性と機能性「ポケッのト位置と数も」
④電車の中のマナー「背中は見れない」

よる年波には勝てない。
30代までは、上記③、②、①の順だった。
常に2冊のシステム手帳(バイブルとミニ6穴)と1冊の本を入れていることも一因となって①が本当に大事。最近では車内で背負ったときの周囲からのヒンシュクが気になり、④となる。車内マナーとして。

この20数年前からだろうか。電車の中の景色は大半がナイロン製のバックになり、この10数年前から、ビジネスリュックの方々があまたに。だから、たまに、使い込んだ革製のブリーフケースを持っている御仁がいると僕は羨望の眼差しになった。その艶と光沢を放つ革に見惚れた。

これまで僕はビジネスリュックに偏見があった。どこかスタイリッシュではないからだ。休日の延長線上の雰囲気だし、リュックを背負うことでスーツやコートの皺やたるみが気になっていた。
そして何より混雑した車内でごっついリュックを前方、胸の辺りで抱えると、今度は本が読みづらくなる。(何というわがまま!)

だからこれまでPORTERとManhattan Portageのナイロン製の手さげカバン計5個を使いまわしてきた。

でもリュックには、両手が空くという安全面のメリットがあり、かつ荷物の重さを片腕片肩だけでなく、全身で受けられるという、まさによる年波にはうってつけの効能がある。

先月、東京のオフィスビルのエスカレーターでコンパクトで薄い茶色のビジネスリュックを背負った三十代であろう若手の男性の、颯爽とした立ち姿を見た。
実にスタイリッシュ。その瞬間、これだ!!と。

この薄さ、このコンパクトさであれば、電車の中で背負ってもヒンシュクでない。A4用紙やシステム手帳、折り畳み傘が何とか入る。

それ以来、僕のビジネスリュック探しが始まった。様々なお店を覗き、ネット検索して、辿り着いたのは銀座ハンズ。
そこに東急ハンズと吉田カバンの共作、
この逸品が佇んでいた。
出逢ってしまった。

20221119_105410.jpg

縦は39センチで大きすぎず、幅(厚み)は10センチで、電車の中で背負ってもさほど迷惑はかけない程度。そしてなんといっても軽く、僕の大好きなブランド、PORTER。
3万5千円位したけれど、一生ものと考えれば激安。消耗品ではないのだから。

あと何年このリュックを使えるかは天のみぞ知るが、この作品と一緒に電車に揺られ、枕木をひとつずつ越えように、日々の特別な時間を重ねてゆく。

nice!(3)  コメント(0) 

秋思 [世相・センス]

昨日の金曜午後5時半頃、
末広町から地下鉄銀座線で
夜の席へと日本橋に向かいました。

車中、僕が座った真向かいに、
80近いと思われる白髪のカップル。
僕から見て左手に眠そうなおじいさん、
その隣には、すやすや眠るおばさん。

夫婦水入らず浅草巡りの帰りかな、
と勝手に拝察。よく見ると、
おじいさんの身体が
小刻みに揺れているのです。

あれっと思い、
おじいさんの膝当たりを見ると
おじいさんは、おばさんの右手の中指を
さすっているのです。
ふたりは手を繋いでいる格好ですが、
彼はまるで彼女の指の関節痛を
ほぐすように、心を込めて、
丁寧に撫でているのです。

どこか羨ましくなりました。
このおじいさんは男らしいなぁ、
優しくて、立派だなぁと。

夫婦なのか、訳有なのか、
そんなことはどうあれ、
白髪のふたりが、11月の金曜の東京、
銀座線の中で気を交わし合っている。
おばさんは気持ち良さそうに、すやすや。
完全なるふたりの世界。

まるでタイムトリップして
時代が60年戻り、学生服のカップルが
デートの帰り道、電車に揺られ
身を寄せ合い、疲れて寝ているようで。
それから60年経った今でも
ふたりの仲は深まりこそすれ、
褪せることがないようで。

映画やドラマの観過ぎで
妄想巡りが僕の悪い癖。
この奥さんは実は持病があり、
旦那さんが彼女を励ますため、
浅草寺巡りのデートに連れ出し
その帰路、ふたりの思い出のひとコマ
などと勝手に考えてしまうのでした。

いずれにしても、
ものすごく美しい光景を
見させて頂いたようで。

金曜の夜、ふたりのラブストーリーを
勝手に堪能してしまったのでした。

おふたりは、素晴らしい人生を
手に入れられたと。そして、
これからの健やかなる日々を
祈念せずにはいられないのでした。

20221104_180832.jpg
nice!(2)  コメント(0) 

多謝 [ステーショナリー]

今朝、目覚めて、ありがとう。
水が使えて、ありがとう。
歯ブラシ出来て、ありがとう。
トイレが使えて、ありがとう。
朝、食べれて、ありがとう。
美味しい珈琲、ありがとう。

その歓びの言葉や励まし、
ありがとう。

その厳しい言葉、ありがとう。
僕の成長を促し、
人間としての幅を広げてくれて、
人生の滋味を深めてくれて、
ありがとう。

その経験、ありがとう。
この分、誰かの痛みを理解でき、
誰かに優しくなれるから、
ありがとう。

この事故の痛みや病気の苦しみ、
ありがとう。
この程度で済んで、
自愛の精神に気付かせて、
本当にありがとう。

この大空、ありがとう。
美しい景気、ありがとう。
心地よい風、ありがとう。

我がステーショナリー、ありがとう。
僕の文字を受け入れてくれて、
ありがとう。

20221030_085105.jpg
20221030_085131.jpg


我が手帳よ、ありがとう。
20221030_085214.jpg
fILOFAX NAPPAミニ6穴

僕が必要とする情報のインデックス、
ありがとう。
僕の心のチューニング、
ありがとう。NAPPA君、
君がいてくれて大々満足!❢


このブログの場をくださり、
ありがとう。

最後までお読みくださり、
ありがとう。

貴方のご健勝を祈らせてくださり、
本当にありがとう!!
20221030_130410.jpg


nice!(2)  コメント(0) 

雲言 [世相・センス]


20221023_123037.jpg
日曜昼のスーパーの屋上。
ふと見上げた秋空の雲が
言葉を発信していました。
「α」。
僕には初見で、「プラスアルファ」
というメッセージに読めたのです。
前向きに、人生のそのときどきを
楽しめと。
ポジティブシンキングで進めば、
いつかわかると時がくる。
そんなふうに僕は解釈しています。

明日からも、魂込めて、穏やかに。

nice!(2)  コメント(0) 

再会 [MUSIC]

WALKMANでもiPadでも
シャッフル再生がありますよね。
アーティストやアルバム単位ではなく
登録しておいた全曲を
自動選曲してくれるランダム機能。
この詳細な仕組みは判りませんが、
最高の気分転換、自分探しの旅に
繋がると僕は思っています。

①一曲ごと新鮮に感じる
日頃は好きなアーティスト、あるいはアルバムを繰り返して聴いていますが、
自ずとマンネリ(感覚の麻痺)化します。また、その前後の曲との連続性で、一曲の印象が固まります。あるいは、その一曲は、アルバム全体のコンセプトの1パーツとしての存在になっています。

シャッフル機能で突如現れた曲は、新味があって、その前の流れからの登場なので、今までとは違うテイスト、独自性、新たな表情を彷彿しています。要は、新鮮なのです。

②待ち望むドキドキ感
僕は、ジャズ、ポップス、ギター演奏、ボーカル、クラッシック、ボサノバなど、これまで45年間聴き込んで来たアルバムをWALKMANに入れています。

シャッフル機能により、次にどんな曲が来るのか、楽しみでワクワク感が高まり、もう何年も聴いていなかった曲が予期せず登場すると、どこか懐かしく、当時のことを思い出し、頭の中は回想シーンで満たされます。その中には当然に喜怒哀楽がありましたか、全て我が人生。今、こうして生かされて、音楽が聴けているのですから、なんで恵まれている良き人生なんだ!と実感するのです。シャッフル機能のおかげでもあります。

③曲との縁、出会い
街で偶然に懐かしい誰かに出会う。
ある夜、誰かのことを想っていたら、突然その人からメールが届く(あるいは電話がかかってくる)ということがあります。
これを単なる偶然と割り切ってしまうと、人生は無機質で、滋味がないです。
何かのおぼしめし、天啓と捉えれば、その意味合いを考えたりして、面白くなります。

音楽もそうなのかもしれません。
次にどんな曲が来るのか。
どんな再会が待っているのか。
その再会が自分に
どんな感情やエネルギーを
授けてくれるのか。
ワクワクしませんか。

音楽プレーヤーはTechnologyの世界ですから、シャッフルの仕組みにも、ある一定の法則、ロジックがあるのでしょう。

でも、神秘的に捉えるかどうかは、
リスナーの自由です。
僕は一曲との出会いを、その再会の意味を
感じるのです。
「実に面白い!」

この秋、軽快に爽快に愉快に
いきたいですね!❢

nice!(1)  コメント(0) 

孤独 [世相・センス]

「孤独のグルメ」の新シーズン10が始まった。自営のビジネスパーソン井之頭五郎(松重豊さん)が飲食店で一人、食べまくる姿が爽快。始まってもう10年になるのだと感慨深い。

この番組にしびれて10年かと。
10年前と言えば、
自分はあの頃どうしてたかと、
誰と関わり、どんなことに
夢中になっていたかと、回顧する。
こんなふうに心が過去に
タイムスリップすること、最近多い。

ところで「孤独のグルメ」に
なぜこんなにも惹かれるのか。
理由なんてどうでもいい、
好きなものは好きなのさ、 
と割り切って観てきたのだが、
ふと理由を整理してみたくなった。
それが以下。

①人は美味しいものを
好きなだけ食べれるだけで、
幸福な時間が得られる。

この小さな刹那的な幸福の積み重ねが
人生の醍醐味ということ。
今食べているこの時間を大切にしようと。

②五郎さんは常に心で
何かつぶやきながら食べる。
その殆どが口に入れるご馳走への賛辞。
豊富な語彙の滑らかな語り口が
実に気持ち良く、観ている我らの
運気まで上がってきそう。

「美味い家庭料理が恋しくなったら、
この家に帰って来よう。
ここは、まるで俺の胃袋の実家だ。」

「俺の口が感動に打ち震えている。」

「胃袋がもっとよこせと叫んでいる」

「お代わりがなかったら
胃袋が暴動を起しただろう」

「鍋の中は今まさにエン宴たけなわだ」

「ほう、チンゲン菜、
こんなところで働いてるの。
良い職場見つけたじゃない。」

「力強くて優しい。
煮カツは、男のあるべき姿だ。」

③挿入されている音楽がユニークで、
太鼓などを用いた異国情緒満載のリズム。
五郎さんを縁取る画面は、今や、
この音楽たちとニコイチ、メオト関係、
セットでないと語れない程。

そして最後に④。
五郎さんとお店の方々の関係性が、
希薄というより、実に淡白で爽快なこと。

お店は、空腹を満たし、
料理を堪能する場所であり、
余程無愛想なお店でない限り、
過剰なサービス精神は不要。

お客さんに喜ばれる料理を出すお店、
それを受け止めて味わい尽くす客。
この構図だけの、極めてシンプルな関係。

お店にとって、五郎さんは
日頃見かけない、
ぶらりと立ち寄った一見さん。
五郎さんとしても、
その店はご近所さんではなく、
今後、頻繁に来ようとは
思ってないだろう。

然るに、必要以上の会話はない。
ドラマを包む言葉の殆どは、
五郎さんの心のつぶやき。

そのお店の常連さんらとも
五郎さんは殆ど言葉を交わさない。

五郎さんも、お店も、常連さんも
皆、それぞれの役割に集中してしている。
そういう時間がひとコマずつ、
淡々と重ねられていく。

このシュール感。まさに孤独。
哀感のない孤独。歓びの孤独。

人との深い関わり合いは、
他で求めれば良い。
ここは、「食」という今一点に、
人生の至福の時間に、
気を集める場所。


nice!(5)  コメント(0) 

逆転 [世相・センス]

20220929_175031.jpg
これまで苦手だった相手、
好きになれなかった相手を
少しずつ理解し始め、
いつの間にか、
好きになっている自分に気付くとき。

これ程の大きな歓びや醍醐味は、
生涯でそう頻繁にあるものではないと知る。

nice!(1)  コメント(0) 

舞台 [世相・センス]

20221008_075743.jpg

人生という舞台。
そりゃ、いろいろありますよ。
悔しいことも、腹立つことも。

でも静かに目を閉じ、
熱々の珈琲を飲めば、
見えてくることがあります。

そのわだかまり、心のザラつきは、
大抵、利己、我がエゴですよ。
大体、こちらの心得違い。
自分の思い通りにしたい、
自分がこう思われたいという我欲。

自分を勘定から外すこと。
どう思われてもいい。
それが有りのままの自分であり、
それが我を評価する、有りのままの他人だ。

勘違いされてもいい。
それは相手の問題なのだ。

時は一瞬に消え去っていく。
舞台度胸、舞台根性すら要らない。
有りのままを受け入れ、
有りのままに感謝し、身を委ねる。

「君が心穏やかに過ごす自由を
誰も奪うことは出来ない。」

「君も、たいした者ではないのだから、
負けるが勝ち、譲るが勝ち、
そして、力まず流れに身を委ねよ」
明日への伝言。自分への。

「天高し雲行くままに我も行く」高浜虚子


nice!(1)  コメント(0) 

秋麗 [世相・センス]

20210725_114936.jpg
たった一杯で良いんです。
土曜朝のカフェのひととき、
熱々の一杯で、その週の出来事、
喜怒哀楽の全てが実を結んでいきます。
心の底に静かに。

「土曜のカフェの香秋麗」弥七

nice!(0)  コメント(0) 

鰯雲 [世相・センス]

20201205_163152.jpg
「日曜のスーパー屋上鰯雲」弥七

nice!(0)  コメント(0) 

言葉 [世相・センス]

人が想うことは誰にも止めらない。
その想いは言葉にしないと伝わらない。
どの言葉を選び、どの順序で発するか。

つい不用意な言葉を
放ってしまうことがある。
この「余計なひと言」で
誰かを傷つけたり、
場を白けさせてしまうことも。
折角の想いが伝わらないのだ。

僕は書き言葉はかなり慎重になる。
長い文章や、巧みな言葉と
慣用句の乱用は、
読者が混乱するだけ。

どれだけ短時間で真っ直ぐに、
読者の脳裏に要点が入るか。
これが決め手。
だらだらした文章だと
趣旨や想いがぼやけ、霞む。

片や、話し言葉は難しい。
脳裏に浮かんだことを
瞬発的に発することになる。
「余計なひと言」で台無しに。

如何に抑えるか。
ぐっと堪えて押し黙るか。
そして必要なキーワードだけ
淡々と発することだ。

なかなか、うまくいかないものです。
言葉と一緒に生活をして
半世紀以上経つのに。

土曜の朝、
いつものスーパーの駐車場。

見上げる秋の空。
不器用者です。


20221001_075532.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

時間 [ステーショナリー]

20220910_054039.jpg
スマホやタブレットは
時間を生んでくれる。
手帳や万年筆は
心を躍らせてくれる。

nice!(0)  コメント(0) 

利他 [世相・センス]

20201204_203346.jpg
この怒りや苛立ちは、
利他のためか、単なる利己か。
それだけが問題だ。

nice!(0)  コメント(0) 

天託 [世相・センス]

20220919_084721.jpg
今日まで何とか生きてきた。
明日は明日の風が吹く。
素直に、正直に、丁寧に。


nice!(1)  コメント(0) 

秋風 [世相・センス]

街中をゆく路線バスの動き、ゆったり。
わが街ではご高齢の方々が多く乗るので
急ブレーキ、急ハンドル、急アクセルは
いわばご法度。

運転者さんは、前方左右、車内を
入念に確認しながら、慌てず冷静に
ハンドルを捌いてゆく。
当然に事故ゼロを至上使命とし、
極力時刻表通りに、丁寧に運転する。

バスに乗っているときはさほど
このゆったりは感じないのだが
いざ僕が自家用車を運転しているとき、
バスの真後ろに着いてしまったときは
とてつもなく、実感するのだ。

バスが停留所で止まり、
降車するお客さんが多かった場合、
後ろのクルマはバスを追い越そうとする。
危険極まりない行為。
それを知ってじっと待っているわけだが
そのバスの動き出しの遅さにイライラする。

平日の早朝、駅のホームから階段を
大勢の降車客と一緒に降りるときと同様。
極めてのんびり、あるいは注意深く
降りている人の後ろに僕がいた場合、
イライラするのだ。

もうひとりの自分がつぶやく。
「何を急いでいるのですか?」
「慌てふためく理由はなんですか?」
「遅刻をしてしまうのですか?」
「誰かを待たせているのですか?」

「どんなペースで歩こうが
 人の自由ですよ」
「余裕をもって家を出てこなかった
 あなたが悪いのでしょう」と。

現代社会、競争社会。
しのぎを削り、生き残り。
気の焦り、自己保身なり。
単なるせっかち、命を削る。

気がつけば、
自分中心に世の中が周っている錯覚。

クルマも人生も、
日頃の立ち居振る舞いも、
もはや急ぐ歳頃はとうに過ぎ去った。

今更施しようがないほどに
せっかち気質は染み込んでしまった。
ままならぬのが人生。
だから面白く、滋味がある。
頬を撫でる秋めく風が
長年の我が急く心をなだめる。

その風に見事に乗って、街をゆくバス。
路線バスに目礼、いや敬礼。
様々に、教わってます。
20220730_075823.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

彼方 [世相・センス]

20220906_125022.jpg
艱難辛苦あれど、行くのだ。
これまでもそんなふうに乗り越えてきた。
出来るだけ楽しんで。
「面白くなってきた」「実に面白い」
「人生は楽しんでなんぼ」と。
楽しんだ者勝ち。

nice!(1)  コメント(0) 

行雲 [世相・センス]

20220909_134439.jpg
どれひとつ同じ形の雲はない。
皆、それぞれ。それぞれの人生。
人からの評価や称賛ではない、
自分がどう生きたか。

nice!(1)  コメント(0) 

残照 [世相・センス]

20220909_122728.jpg
一日のふとした瞬間、立ち止まる。
怒りと悩みの数だけ欲がある。
今ある幸せを忘れているのだ。

nice!(1)  コメント(0) 

Just A Manのペン、単機能。 [ステーショナリー]

20220902_164623.jpg
最近、単機能ボールペンを
こよなく愛でている。
黒か青のインクペン。
不思議でしょうがない。
若い頃から多機能ペンばかり
使ってきたし、集めてきた。
でも、使うのは黒か青だけ。
シャープペン機能は使わないし
赤も滅多に使わない。
なぜ、こんなにも情熱的に
多機能ペンを追い求めて来たのか。
今、つくづく単機能に魅力を感じる。
その機能のためだけの存在。
そんなに高価なものではない。
でもその機能だけはしっかりしている。
20220902_164729.jpg
まるで職人さんだ。
不器用だけど、
このことについては負けないよ、
この仕事には誇りをもってるよ、
これだけは譲れないものがあるのよ、
この道だけをこれからも掘り下げていくよ、
その先でその道のプロになれるよ、
余計なものは要らないよ、
必要なものだけ持って
身軽に行きたいのよ、と。
そもそも僕自身が単機能。
多彩な才能、オールラウンドな能力を
全く有していない。
でも少しの得意技はある。あとは駄目。
不器用ですから。
確かに広い視野でマルチな才能、
多彩な分野で活躍できたほうが
人生は楽しいのだろう。
でももうそんな歳ではないのだ。
仕事の道は一筋、
広げるべくは、興味の湧く趣味の世界を
自由気ままに。
だから、単機能のペンを使って、
使って、使い果たす。
自分の指紋が染み込む程、
深い味わいが輝く程にね。
Just A Manでいい。
それぞれの生き方、やり方で。
20220902_164520.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

思考と心の拠り所〜手帳の佇まい(24) [ステーショナリー]

誰もが不安を抱く。
それは人間なら当然で、
あのフーテンの寅さんだって
何の不安もなく旅していたわけではない。

片や、映画「ブリッジ・オブ・スパイ」。
アメリカにスパイとして潜入し、
CIAに逮捕されたソ連人アベル
(マーク・ライランス)は、
死刑宣告の可能性について、
彼に着いた弁護士ジム(トム・ハンクス)に言う
「不安があるかって?それは役にたたない」。

実に知性的で合理的。
感情は関係ないと。
不安に思ったところで、
何も解決しないのなら、
それは抱かないと。無の境地。
でも、人はそんなに簡単にはいかない。

「先回り不安」「取り越し苦労」では、
楽しい時間が過ごせず、
人生の時間が勿体無い。

内田樹氏は著書のなかで
「(中略)取り越し苦労は、
怒りや嫉妬と同じくらい人間の心身を
蝕む有害なものなんです。
(中略)未来予測の中のネガティブな
ファクターだけを拾い出してゆくのが
取り越し苦労。
(中略)無限の可能性の中から
限定した不幸な選択肢だけをよりのけて、
「これが私の未来だ」と思い込むこと。」
と言う。
(「身体の言い分」内田樹、池上六郎共著、毎日文庫)

勿論、何かに備えること、
懸念材料を予防しておくことは大事。
それは「取り越し」ではない。
要は、過剰な不安や心配を避けるべきと。

もう20年以上前から僕は不安なことを
システム手帳のリフィルに書き、
その瞬間で手放すことにしている。
結構、効果がある。
最近は、スマホのメモアプリに
入力することもある。
オフィスや自宅の書斎にいるときは
手帳を開けるが、
駅のホームや食事中、あるいは
トイレや風呂にいるときは、
スマホのメモ欄が最適。

20220828_090824.jpg

不安や心配を吐き出すように
書き込むと、自ずと頭が整理されて、
その不安の解消方法や問題の解決策が
ふと浮かんでくるから凄い。
断然、楽しく嬉しくなる。

よしんば浮かんでこなくても、
今自分に出来ること、
これからすべきことを、
列挙するだけでも、
かなり開放感、安心感が味わえる。

そんなふうにして、
もう手帳の数は膨大になった。
このリフィルの多くには、
不安や怒り、モヤモヤの解決策がある。

まあ結局は、悩んでも仕方ないこと、
怒っても独りよがりなことばかり。
成り行き任せ、レット・イット・ビーで
収束していくのだ。

心の落ち着き処。
それが、手帳であり、メモアプリ。

人は不安を打ち消すために
とことん努力を重ねるべきと、
根性論の書にはある。
一理あるが、そうとも限らない。
ある程度真面目に誠実に、
自分に正直に生きてきたのなら、
あとは人の評価など気にせず
成り行き任せ、天運自在で良いと
僕は思う。

先程の映画「ブリッジ・オブ・スパイ」で、
ソ連上空を撮影していたアメリカ空軍の
パイロットのパワーズは、
ソ連に逮捕された後、何とか帰国したが、
CIA等のアメリカ人の反応、対応が冷たい。
パワーズは、彼の帰国に寄与した
弁護士ジム(トム・ハンクス)に
打ち明ける。
「俺は国家の機密をソ連に話していない。
どうか信じてほしい」。
ジムは言う
「自分が確かなら、それでいい。
人からどう思われようと気にするな」。

僕はたまに手帳たちを蔵出しして、
読み返す。
思えば、自分にとっての、
お悩み事や不安ごとって、
何年経っても変わらないものだと、
つくづく自分を知ることになる。

手帳で思考や感情を整理している割には
何年も成長していないが、
これらの手帳記入があったからこそ、
今、自分は何とかこうして
生きていられるのだと確信している。

この手帳こそ僕が歩いてきた道。
不器用ながらも生きてきた足跡。
我が手帳たちに深謝。

明日からも前へ行ける。
20220828_092221.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

さよならの意味 [MUSIC]

「さよなら、本当に、さよなら。
許されるのなら、この心に
貴方のほほえみ消さないまま」

さよなら、最後のさよなら
涙にはしない願いを込めて
貴方のほほえみ消さない」

小学生の頃だった。
人はいつか死ぬから、
大好きな父もいつの日か
死んでしまうことを考えると
辛くて苦しくて、
泣いて悶々とした日々が続いていた。

そんな夜、それを見かねた父が言った。
「つまんないこと考えないで
町内を全力でマラソンしてきなさい!」

僕は夜の公園を走った。
がむしゃらに。
それで救われた。

その十数年後、成人してから
僕は安全地帯の「ほほえみ」
という曲を知った。

♫「さよなら、本当に、さよなら。
許されるのなら、この心に
貴方のほほえみ消さないまま。

さよなら、最後のさよなら
涙にはしない願いを込めて
貴方のほほえみ消さない」♪
安全地帯「ほほえみ」

もう二度と会えない、あの人への詩。
恋愛の歌ではあるが、
僕は成人してからは
大きな失恋をしていないので、
別れがどうしても辛い対象として
父を思う。

この曲を聴くといつも、
父がいつか死んでしまうと悩んだ、
あの遠い日々を思い出す。

父は17年前に亡くなった。
直腸がんや大腸がんの手術を受け
最後は腰が辛いといって
何日間も苦しんでいた。
そして、僕が41歳のとき、
父は75歳で長き闘病生活を終えた。

あの日、父が病院で息を引き取ったとき、
僕は
「お疲れさまでした。
父さん、やっと楽になれたね。
本当にお疲れさまでした」と、
声をかけた。

「父さん、死なないで、
お願いだから、死なないで」
ではなく、号泣しなかった。

玉置さんが作ったこの曲は
親子愛の歌ではないけど
最後の歌詞も沁みわたる。

♫「いつでも、この空に2人、
包まれているさ離れていても
貴方のほほえみ、忘れない」♪

こんな歳になって恥ずかしながら、
父さんは空の上から
見ていてくれる、と思う。

父との惜別から17年を経ても今でも 
この曲は、そう思わせてくれる。

安全地帯ソングスで我がベスト1。
こんなにも心にくる歌を
他に僕は知らない。

聴くだけで会える。
心のなかでいつも。


nice!(0)  コメント(0) 

Next One、My Own Way~手帳の佇まい(23) [ステーショナリー]

朗らかで、のんびり、
まったり、癒やしの手帳がある。
レイメイ藤井のDavinci、
オールアースのバイブルスリム
(ジャストリフィルサイズ)、
ブラウン色、リング径11ミリ。
手触り滑らかでどこかしっとり。
職人さんによる丁寧な内装も
使い手に優しい。

このサイズと色合い、触感に
僕は惚れている。
一方で、この手帳を日頃
持ち歩いてはいない。
保管庫かつ、どこか鑑賞用。
でも手放せない大切な一冊。

20220821_065953.jpg

ところで、自己啓発の書には、
「壁があれば、自己努力で、
あるいは仲間と協力して、
知恵を絞り底力を発揮して
乗り越えよう。そこに成長がある」
と記してある。

僕は思う。ときに、
横切っても良い壁もある。 
避けて通って良い場合もある。

それは逃げではない。
何でも挑戦では、疲れてしまう。
次を狙えば。そういうこともある。
生きてさえいれば次がある。

「置かれた場所で咲きなさい」。
確かにそうだ。
自分に割り当てられた場所、
役割、任務を、とことんやってみようと。
その真剣さや懸命さの先に、
働く、あるいは学ぶ喜びがある。
それは真実だ。
一方、それが、自分に向かなければ、
あるいは人間関係等で
環境的に合わなければ、
我慢ばかりせず、方向転換して、
その場所を去って良い。

それは逃げではない。
何でも挑戦では、疲れてしまう。
次を狙えば。そういうこともある。
生きてさえいれば次がある。

余程誰かに、とてつもない迷惑が
及んでいない限り、
人からの評価は、どうでも良い。
自分の人生。
自分らしさを探がし、 
自分らしく生きる。
だからこそ、
人にどう思われるかを気にしたり、
人からの評価を期待してはならない。
流れの中で、次の一手は出てくる。

この手帳を
使いこなさないなんて勿体無い、
それが常識的な通説だろう。
でも僕なり愛で方がある。
20220821_070116.jpg

この手帳には、僕にとっての
大切な心構え等を書き込んだ
リフィルを綴じている。
いわば保管本。
そして何より、愛しく眺める。
朗らかさとゆとりを取り戻す一冊。
ゆくゆく別の使い方で出合うかも。

型破りでも横紙破りでも破天荒でも
特段構わない。
自分の人生、我が時間。
自分のやり方、生き方で。
20220821_065906.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

スプーン半分。小さじで。 [世相・センス]

夏場のビールのあてに
欠かせないポテトチップスの話を
先日職場の仲間としていた。

A社とB社のチップス、どちらを選ぶか。
A社は冒険心ある企画商品、
洗練されたパッケージ、
凝った塩や海苔を使い、
その解説を丁寧に袋に記載、
大人へ高級感を醸す。

B社は、A社程のセンスはないし、
商品企画も、どちらかと言えば
子ども向けが多い印象。

でも僕はA社を選ぶと話した。
なぜなら、ポテトチップスの品質比較に
最適な「うすしお」味で、
僕は圧倒的にA社を推すからだ。

両社の「うすしお」は
共にオレンジ色の袋で間違いやすい。
まあ、それは別の話題として、
A社のチップスはきれいなポテト色。
形もさほど崩れていない。
塩加減も絶妙で良い塩梅。
B社の「うすしお」チップスには
黒ずみが少々あり、味も濃い印象。
勿論、これは僕の勝手な主観であり、
全く別の意見を示す貴兄もおられる。

兎にも角にも、夏場のビールには
ポテトチップスだよね、となった。
すると、仲間の一人が、
A社とかB社というよりも、
僕の年齢で毎日ポテトチップスでは
身体にさわるのではないか、
と心配し出した。すると別の人たちも
「そうだそうだ」と変な盛り上がり。

少し水を差された僕は、
「ひと袋を一週間かけて食べるから、
ドント・ウォーリー」と返した。

これは真実で、流石に年齢的にも
毎日は食べれないし、
毎日だと飽きてしまう。
だから、「程よく少しずつ」、
長年の晩酌生活、
自分の配分を知っている。

ところで、先日、ご紹介した
「桃屋の花らっきょう」の瓶詰め。
僕は10日くらいかけてひと瓶空ける。
これも「程よく少しずつ」。

今週、胃カメラ検査の帰り道、
僕はいつもお世話になっている
久世福商店に寄った。
四合瓶の純米吟醸酒と、
瓶詰め2種類を買った。瓶詰めは、
「おかず味噌 国産九条ねぎ」
「至福のひと時 大人の牛しぐれ」。
前者は信州味噌に九条葱を和えたもの。
後者は牛肉の国産山椒と甘味噌の和え。

高血圧症の酒飲みの身体に
良いはずがないとお叱りもあろうが、
ポテトチップスひと袋を一週間かけて
空にする我がポリシーに従い、
これも「程よく少しずつ」。
このふた瓶は、毎日、
小さじのスプーン半分のみ。

このスプーンで杓った味噌和えを
小皿に擦り着け、箸で少しずつ拾っては
舐めて、純米酒で流し込む。
あるいは冷奴のてっぺんの、
平たく白いスペースの真ん中に
僅かに乗せて色付けて、食す。
そしてビールで流し込む。

スプーン一杯の半分。程よく少しずつ。
だけど、日々のその種類が多くなれば
塩分の総量で身体にさわる。
よって、品数も程よく少しずつ。
日々の歩み方のように。

20220810_054434.jpg
nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。