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「理屈じゃ、ねえんだよ」 [世相・センス]

「理屈じゃ、ねえんだよ」

と、立川志の輔さんが決め台詞。

龍角散ダイレクトのCMだ。

渋みある声に滋味あり。


僕のオフィスが入るビル、

そのエントランスフロアのコンビニに

有能な店員さんがいる。


そのお店で珈琲を注文すると、

カウンター内で店員さんが

操作して淹れてくれる。


その店員さんは、珈琲を頻繁に注文する顧客を把握しており、そのお客さんの来店に気付くと瞬時に珈琲サーバーにカップをセットする。そして、想定通りお客さんが注文すると、空かさずスイッチをオンにする。ドリップ完了のランプ点灯と同時に珈琲カップを差し出す。

この一連の流れるような所作と手際。

凄いものを見せて頂いたと思える。


それだけではない。もっと圧巻がある。

珈琲を受け取ったお客さんが、その場でミルクやガムシロップを入れるとき、その小さな容器の破片、あるいはレシートか何かを床に落とた瞬間、彼女は

「大丈夫ですか?珈琲の蓋を落とされましたか?」

といって、既に、珈琲カップの黒い蓋をお客さんに差し出しているのだ。



「理屈じゃ、ねえんだよ」。

彼女はきっと頭を使って仕事をしているのではない。プロとして自分の役割に全身全霊を尽くしているのだ。


僕は彼女をもう10年以上、客として見てきている。大袈裟かもしれないが、お客さんの表情や動きの微細を観る「虫の眼」、店内全体の違和感や変化を感じ取る「鳥の眼」、お客さんの動線や安全安心に基づき商品の陳列を考える「魚の眼」を持っている。


「理屈じゃ、ねえんだよ」。

彼女は仕事に没頭しているのだ。


ところで僕は、コンビニに限らず様々なお店の店員さんの笑顔や応対の素晴らしさに感動する一方で、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の一言もない、微笑もない店員さんに、がっかりする癖がある。


これは良くない思考だ。これこそ、まさに「理不尽じゃ、ねえんだよ」である。

その店員さんが無愛想でも、その実、それはその店員さんの、そのお店の自由なのだ。僕が不快に感じること自体が理不尽なのだ。いわんや文句を言う、苦情を申し立てる次元の話ではない。きちんと出勤して、僕を相手に仕事をしてくださり、ありがとう、で良いのだ。そこにあるのは、客の選んだ商品を受け取り、会計処理をしているという事実だけ。それを僕個人がどう解釈しているかに過ぎない。単なる主観である。


ことほどさように、素晴らしい応対をしてくれた店員さんに感動するのも主観だ。

人間だもの、感銘も煩悩もある。

そのうえで目の前のことを丸ごと感謝して受け入れ、仕事以外はあまり理屈で考えない。


正しさよりも優しさを大切に生きる。

「理屈じゃ、ねえんだよ」。



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